永遠に終わらない、ゴールテープの移動

要旨

ある町で始まった、すべての人を満足させるための特別なルール。それは最初は誰もが歓迎する、慈悲深い試みに見えた。しかし、調整を重ねるごとに、ルールは奇妙な増殖を始める。誰かが幸せになるたびに、別の誰かがその代償を払い、新たな「不公平」が定義されていく。不満の種を摘み取ろうとするほどに、土壌そのものが毒されていく過程を描き、私たちが「正しさ」の名の下に足を踏み入れた迷宮の正体を静かに暴き出す。

キーワード
均等、終わらない調整、新しい特権、言葉の書き換え

一足の靴と、平らな道

その小さな国には、昔から変わらない一つの決まりがあった。「国民には、全員同じ厚さの靴底を持つ靴を支給する」というものだ。砂利道だろうが、花壇の横だろうが、誰もが同じ高さで地面を踏みしめる。それは非常に簡潔で、誰の目にも明らかな公正さだった。

ところが、ある時から国民の間に小さなしわが寄り始めた。背の低い者は、「自分は景色が見えにくい」と言い、足の不自由な者は、「同じ靴では歩きにくい」と訴えた。もっともな話だった。

そこで政府は、新しい方針を打ち出した。今後は、一人ひとりの事情に合わせて、靴底の厚さを変えるというのだ。これを「真の心の平穏」と呼ぶことにした。国民は喝采を送った。自分の不遇を数え上げれば、その分だけ厚い靴底が手に入る。人々は自分の不便さを熱心に説明するようになり、役所の窓口には長蛇の列ができた。担当者は一人ひとりの生い立ちや、日々の苦労を丁寧に聞き取り、ミリ単位で靴の厚さを調整していった。

測り続ける、終わりのない朝

しかし、この親切な調整は、思わぬ方向に転がり始めた。ある者に五センチの厚底が与えられると、隣に住む者は「あいつの方が昨日より三センチも高くなった。私の苦労は無視されたのか」と憤った。役所は慌てて、さらに細かい調査を始めた。単なる身長や体力だけでなく、家系に遡った不運の蓄積や、心にかかった影の濃さまでを数値化し、靴底の厚さに反映させることにしたのだ。

靴底の厚さを決めるための会議は、昼夜を問わず続けられた。基準は日に日に複雑になり、もはや専門の学者でなければ、なぜ自分の靴が今の厚さなのかを説明できなくなった。かつては誰もが自分で靴を履いて外に出たものだが、今では厚すぎる靴底のせいで、一人では歩くことさえ困難な人々が現れ始めた。それでも調整は止まらない。誰かの不満を解消すれば、相対的に別の誰かが「損をした」と感じるからだ。

不公平の再定義 = 救済の拡大 + 判定者の恣意

判定を下す役人たちは、いつしか国で最も強い力を持つようになった。彼らが「あなたは不幸である」と認めれば、物理的な優遇が与えられる。人々は努力して歩くことよりも、どれだけ自分が歩けない状態にあるかを証明することに全精力を注ぐようになった。

増殖するルール、消えたゴール

この制度の最も巧妙な点は、どこまで調整を続ければ「完成」なのかが、誰にも分からないことだった。格差を埋めるための厚底は、新たな視点を生み出し、そこからまた新しい格差が発見される。これは終わりのない追いかけっこだ。もしも全員が完全に満足してしまえば、膨大な予算を動かし、人々の不満を管理している役人たちの仕事がなくなってしまう。だから、彼らは決して「完成」を宣言しない。

かつて「全員同じ」という単純なルールを馬鹿にしていた人々は、今や迷宮の中にいた。誰かを特別に扱うという慈悲は、いつのまにか、誰をどれだけ特別にするかを決める「権力の分配」へと姿を変えていた。そこでは、もはや靴の歩きやすさなど誰も気にしていない。ただ、隣の人間よりも一ミリでも高く、あるいは一ミリでも「悲惨」であることを認めさせるための闘争が、永遠に繰り返されているのだ。

夜の底で、重たい靴を脱ぐ

ある晩、一人の若者が、あまりに重くなった自分の靴を脱ぎ捨ててみた。驚いたことに、素足で踏みしめる地面は、かつてのどの靴よりも軽やかで、懐かしい感触をしていた。しかし、彼が外に出ようとすると、周囲の人々が血相を変えて飛んできた。「なんて自分勝手なことをするんだ!お前のその軽やかさは、重い靴に耐えている僕たちへの侮辱だ!」

若者は、自分が犯した「罪」の重さを悟った。この国では、誰もが同じ重荷を背負うことではなく、誰もが納得するまで不満を分配し続けることこそが、唯一の正義とされていたのだ。彼は再び、役人が作り上げた複雑な計算に基づく、巨大な厚底靴に足を突っ込んだ。それはもう、歩くための道具ではなく、社会に留まるための重石だった。役所の明かりは今夜も消えない。明日の朝には、また新しい不満が発見され、新しい靴底の厚さが、冷徹に、そして「慈悲深く」算出されるはずだ。

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