国家という名の共同商店
石油の値段が動くたび、人々は「市場が反応した」と説明する。だが市場とは誰かの判断の集まりである。ある集まりは違法と呼ばれ、別の集まりは外交と呼ばれる。その境界は道徳ではなく、もっと単純な事情によって引かれている。店主が自分の店を取り締まる町では、値札の意味もまた変わってしまう。本稿は、同じ行為がまったく別の名前で呼ばれる仕組みを、日常の光景からたどる小さな考察である。
- キーワード
- 石油価格、国家協調、値札、主権、市場
町の魚屋の約束
小さな港町に三軒の魚屋があった。朝になると、店先には同じような銀色の魚が並ぶ。客はその日の値札を見て買うだけだ。
ある日、三人の店主は店の裏で話し合った。「安売りをやめよう。値段をそろえれば、みんな楽になる。」
翌日から魚の値札はそろった。昨日より少し高い。客は不思議そうに顔を見合わせたが、魚は相変わらず新鮮だったし、ほかに店もない。仕方なく買って帰る。
その話はすぐ町役場に届いた。役人が来て言う。「店同士で値段を決めるのは禁止だ。」
三軒の魚屋は叱られ、約束は解かれた。町の決まりでは、店主同士が値札を相談することは許されていなかった。客が困るから、という理由である。
この話はよくある。市場とは自由に競う場所であり、裏で相談して値札を決めるのは反則だ。町の決まりはそう教えている。誰も疑わない。魚屋も、客も、役人も。
だが少しだけ想像してみる。もしこの町の魚屋が三軒ではなく三つの国だったらどうなるだろう。
海の向こうの会議室
遠い砂漠の都市に、立派な会議室がある。長い机を囲んで、いくつもの国の代表が座る。机の上には分厚い資料と水のボトル。窓の外は乾いた空気だ。
彼らの話題は、地下から出てくる黒い液体の量である。今日はどれだけ掘るか。来月はどうするか。来年はどうするか。
議論は慎重に進む。ある国は言う。「少し減らそう。値段が落ちすぎている。」別の国はうなずく。「減らせば落ち着くだろう。」
会議が終わると、世界のニュースがそれを伝える。「産油国が協調減産を決定」
街の人々はそれを読む。魚屋の話とは違い、そこには叱る役人もいない。代わりに解説者が穏やかな声で説明する。「これは市場を安定させるための判断です。」
言葉が変わると、風景も変わる。値段をそろえる相談は、町では違反だった。だが砂漠の会議室では、それは政策と呼ばれる。
なぜだろう。
値札を決める手
町の魚屋と砂漠の会議室。やっていることを並べると、奇妙なほど似ている。
魚の値段をそろえる相談。石油の量をそろえる相談。
どちらも、値札を動かすための話し合いだ。違うのは一つだけである。誰がそれをしているか。
魚屋は町の決まりの中にいる。決まりを作るのは役場だ。だから役場は魚屋を叱ることができる。
しかし国の会議には、同じ役場が存在しない。世界には大きな役場がないからだ。
つまりこういう関係になる。
町では役場が監督する。だから相談は禁止になる。
世界では誰も監督しない。だから相談は外交になる。
行動は同じでも、名前は変わる。理由は簡単である。名前を決める側が同じだからだ。
国は自分で決まりを作る。そして自分で例外も作る。
魚屋はその外側にいる。だから守らされる。
世界という共同商店
港町の話に戻ろう。
もし三軒の魚屋が町役場そのものだったらどうなるだろう。役人が同時に店主でもある町だ。
朝、役場の窓口で役人が言う。「店同士で値段を決めるのは禁止です。」
その数分後、裏口で同じ役人たちが相談する。「今日は少し高めにしよう。」
誰も止めない。止める役人が同じ人だからだ。
町の客は、だんだん気づく。値札は市場の風ではなく、店主の相談で動くのだと。
世界の石油も、それとよく似ている。地下から出てくる量は自然の出来事だが、どれだけ出すかは人の判断で決まる。
そしてその判断をする者たちは、同時に規則を書く側でもある。
だから値札の物語は、いつも同じ形で終わる。
魚屋が集まれば違反。国が集まれば会議。
違いは道徳ではない。単に、店主が世界そのものだからである。
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