親ガチャの街に立つ抽選箱

要旨

生まれた家によって人生が左右されるという感覚は、多くの人にとって疑いにくい現実である。その不均衡を指す言葉として「親ガチャ」という比喩が広く使われるようになった。しかし、人生を抽選の結果として語りはじめた瞬間、ある静かな変化が起こる。責任の置き場所が、少しずつ人の手から離れていくのである。本稿では、日常の言葉として定着したこの比喩が、やがて親と子の関係そのものをどのように変質させるのかを、ささやかな街の情景から辿っていく。

キーワード
親ガチャ、抽選の比喩、責任の所在、世代連鎖、運の語り

静かな抽選の街

ある街では、子どもたちが成長するとき、よく似た言葉を口にする。

「運が悪かっただけだよ」

誰かの家は広く、誰かの家は狭い。
誰かの机には参考書が積み上がり、誰かの机には古い漫画しかない。

その差を説明するために、街の人々は便利な言葉を見つけた。
人生は抽選箱から出てくる札のようなものだ、という考え方である。

箱の中には、さまざまな札が入っている。
裕福な家庭。
静かな家庭。
勉強の得意な両親。
あるいは、そうではない家庭。

人は生まれるとき、箱に手を入れ、一枚の札を引く。
その札が人生の出発点になる。

この話は不思議と受け入れやすい。
誰かを責めなくて済むからだ。

努力不足と言われるより、
運が悪かったと言われるほうが、胸の奥が静かになる。

街の人々はこの説明を気に入った。
新聞にも、学校の黒板にも、同じ比喩が並ぶようになった。

人生とは、最初の札でほとんど決まる。
だから人は、そこまで自分を責めなくてもいい。

抽選箱の話は、そんなやさしい慰めを運んでくる。

便利な言葉の裏側

ところが、この話には小さな不思議がある。

抽選箱の話をする人々は、
いつも「引く側」として語る。

札を引く子どもの話ばかりが続く。
箱に札を入れる人の話は、ほとんど出てこない。

だが街には、もうひとつの場面がある。

大人になった人々が、家庭を持つ場面だ。
赤ん坊が生まれると、誰かが冗談めかしてこう言う。

「この子はどんな札かな」

最初は笑い話である。
だが同じ言葉が何度も使われるうち、奇妙な感覚が生まれる。

人生は抽選だ。
能力も、環境も、すべて札の種類だ。

そう信じている人にとって、
子どもの成長もまた、札の結果のように見えはじめる。

成績が良い子は、当たり札。
そうでない子は、そうではない札。

誰も口には出さない。
けれども考え方の形は、静かに同じ方向へ傾いていく。

札を引いた者は被害者である。
だが札を見つめる者は、いつのまにか審判者になる。

もう一つの抽選

この街では、もうひとつの出来事が起こる。

ある父親が、子どもの成績表を見て、こう言った。
「仕方ない。これは札の種類だ」

努力の問題ではない。
生まれつきの札なのだ、と。

その言葉は、奇妙な軽さを持っていた。
怒りも失望も、どこか遠くへ押し流してしまう。

なぜなら、抽選の結果には誰も責任を持たないからだ。

運という説明 = 原因の消失 ÷ 責任の拡散

一度この式が街に広まると、
さまざまな場面が同じ形で説明される。

勉強が苦手な子。
集中できない子。
すぐに諦めてしまう子。

それらはすべて、札の違いになる。

すると奇妙な現象が起きる。
最初は慰めの言葉だったはずの抽選の話が、
少しずつ別の働きを持ちはじめる。

努力の話が減る。
工夫の話も減る。

なぜなら、抽選の結果は変えられないからだ。

人々は、札を見て判断するようになる。
札が良ければ期待する。
そうでなければ、静かに距離を置く。

その姿は、どこか合理的で、
どこか冷たい。

箱を覗いた人々

街の広場には、古い抽選箱が置かれている。
誰も本当に使ったことはない。
ただの象徴のような箱だ。

ある日、子どもが箱の中を覗いた。

「何も入ってないよ」

その言葉に、大人たちは少しだけ黙った。

箱は最初から空だったのかもしれない。
札は最初からなかったのかもしれない。

それでも街の人々は、箱の話を続ける。
そのほうが都合がよいからだ。

人生が抽選だと言えば、
過去の出来事も説明できる。
未来の出来事も説明できる。

そして何より、
判断をするときに迷わなくて済む。

札のせいにできるからである。

やがて街では、二つの言葉が並ぶようになった。

「親の札」
そして
「子の札」

最初は慰めのための言葉だった。
だが今では、選別のための言葉にもなっている。

抽選箱は、ずっと広場に置かれたままだ。
誰も回したことのない箱なのに、
人々はその結果だけを信じて暮らしている。

コメント

このブログの人気の投稿

「選ばれなかった」のではない。彼らは静かに、幕を引いたのだ。

電気で生理痛を体験する研修は「誰の得」になっているのか?

意識高い系と本当に意識が高い人の違い