庭園のルールと、塀の外側の自由

要旨

ある静かな町に、厳しい規則で守られた美しい庭園がありました。住民たちはその規律を誇りに思い、互いに監視し合うことで平和を保っています。しかし、その庭園を囲む高い塀のすぐ外側では、庭園の主たちが集まり、住民には決して許されないはずの「掟破り」を平然と繰り返していました。本稿は、私たちが信じている正義の境界線が、いかに物理的な力と名前の付け替えによってのみ維持されているかを浮き彫りにします。

キーワード
資源の囲い込み、主権という名の免罪符、二重基準、無政府状態の力学

リンゴの木の所有権と村の裁判

ある小さな村の話をしましょう。その村には、何世代にもわたって守られてきた厳格な決まりがありました。「商人は、客を欺いて法外な値を付けてはならない」「同業者同士で裏で手を組み、商品の供給を絞って価格を吊り上げてはならない」というものです。もし、八百屋の主人が隣の肉屋と密談し、「明日からお互いの品物の値を三倍にしよう。客が困っても、我々の儲けが増えればそれでいい」などと言い合えば、翌日には広場で厳しい裁きを受けることになります。村人たちは、この公正な競争こそが文明の証であり、自分たちの生活を守る盾であると固く信じていました。

村の市場では、リンゴ一個の値段にも適正な範囲があります。不作の時に多少値が上がるのは仕方のないことですが、誰かが悪意を持って倉庫にリンゴを隠し、飢えた人々に法外な値段を要求すれば、それは「犯罪」と呼ばれます。私たちはこの仕組みを、道徳的で、かつ合理的なものとして受け入れています。誰もが同じルールに従い、誰もが平等な条件でパイを分かち合う。これこそが、私たちが教育を受け、社会という名の船に乗り込む際に手渡される最初の海図です。

しかし、ふと視線を上げると、村の境界を示す高い塀の向こう側に、広大なリンゴの森が見えます。そこは村の法律が届かない場所です。そこでは、村の代表者たちが集まり、村人がやれば即座に牢屋に入れられるような相談を、太陽の下で堂々と行っています。

塀の外側で交わされる秘密の握手

塀の外側の森を支配しているのは、個人ではなく「国」と呼ばれる巨大な組織です。彼らは、自分の土地から採れるリンゴをいくらで売ろうが、あるいは地面に埋めて腐らせようが、それは「自分たちの勝手である」と主張します。それどころか、隣の森の持ち主と肩を組み、「我々で供給を絞り、村の連中からもっと多くの金を巻き上げよう」と合意します。これを村の中でやれば「悪質な談合」ですが、森の持ち主たちがやれば「戦略的な提携」や「資源の安定化のための協力」という、響きの良い名前に置き換わります。

村人たちは不思議に思います。なぜ、個人がやれば悪とされる行為が、組織が大きくなり、国という看板を背負った途端に正義へと変貌するのでしょうか。村の法律学者は言います。「それは、彼らが主権を持っているからだ。自国の資源をどう扱うかは、その国の神聖な権利なのだ」と。しかし、この説明は空虚に響きます。権利という言葉が、単に「誰も文句を言えないほど力が強い」という事実を覆い隠すための布にしか見えないからです。

私たちが「法」と呼んでいるものの正体は、実は非常に脆い前提の上に成り立っています。それは、自分よりも強い存在が常に監視しており、裏切りには必ず罰が下るという恐怖です。しかし、世界という舞台には、国家の上位に立って罰を与える「警察官」は存在しません。あるのは、互いの顔色を伺いながら、奪える分だけ奪い合う剥き出しの力学だけなのです。

正義のラベルを貼り替える魔術

結局のところ、私たちが目にしているのは、行為そのものの善悪ではなく、その行為者がどのような「衣装」を纏っているかという違いに過ぎません。企業という背広を着ていれば独占禁止法で縛られ、国家という礼装を纏えばあらゆる制約から解き放たれます。この奇妙な二重基準を維持するために、私たちは「国際秩序」や「外交」といった複雑な言葉を編み出しました。

不可侵の正義 =(暴力の独占 × 主権の主張)÷ 外部監視の不在

この数式が示す通り、絶対的な力を持ち、かつ誰からも裁かれない立場にあるとき、利己的な収奪は「正当な権利」へと昇華されます。村の八百屋がリンゴを隠せば「不当な占有」ですが、産油国が蛇口を締めれば「市場の調整」です。この言葉の魔術に、私たちは長い間、心地よく騙され続けてきました。法治国家という美しい言葉は、実はその外側に広がる「無法地帯」の存在を前提にして初めて成立する幻想なのです。

物語の結末は、いつも唐突で静かです。ある日、村の子供が塀の隙間から外を覗き、森の主たちが談合して笑っている姿を見つけました。子供は広場に走り、大人たちに叫びました。「あのおじさんたちは、僕たちが怒られることをあんなに楽しそうにやっているよ!」と。大人たちは一瞬、顔を見合わせましたが、すぐに困ったような笑みを浮かべて子供を諭しました。「坊や、あれは政治というものなんだよ。大人になればわかるさ」

子供は納得がいかないまま、またリンゴを買いに行きました。昨日より二倍も高くなったリンゴを、たった一枚の硬貨で買うために。そして、その硬貨のいくらかが、塀の向こう側で笑っている主たちの贅沢な食事に変わることを、村の誰もが知りながら、誰も口に出すことはありませんでした。それが、この美しい庭園を維持するための、たった一つの、そして最も残酷なルールだったからです。

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