井戸の水を飲む町
ある町には大きな井戸があった。誰もがそこから水を得て暮らしていたが、ある日から水を汲む者と飲むだけの者が分かれ始める。最初は小さな違いだった。しかし人は自分の手の痛みよりも他人の桶の重さをよく見ている。やがて井戸の周りから人影が減り始めた。そのとき町の人々は気づく。水は井戸から湧くのではなく、毎朝そこへ集まる足音から湧いていたのだと。
- キーワード
- 井戸、桶、分配、離脱、見えない労苦、町の習慣、静かな崩落
朝の列に混じる小さな違和感
その町には広場の中央に井戸があった。
昔から誰もがその水を飲んでいた。雨の日も晴れの日も、夜明けになると人々は桶を持って集まり、水を汲み、それぞれの家へ運んだ。
特別な決まりはなかった。
ただ、みんながそうしていた。
子どもは大人になると自然に列へ加わった。老人は若者に場所を譲られた。誰かが病気になると近所の者が代わりに運んだ。
町の人々は、それを美しい習慣だと思っていた。
そして実際、それは長いあいだうまく回っていた。
ところが、ある頃から少しずつ様子が変わった。
最初に気づいたのはパン屋だった。
毎朝並ぶ顔ぶれの中に、見慣れた人々がいなくなっていた。
だが消えたわけではない。
昼になると普通に歩いている。
井戸には来ないのに、水は持っている。
パン屋は不思議に思った。
しかし町は静かだった。
誰も騒がない。
誰も責めない。
だから違和感もまた静かなまま残った。
しばらくすると、井戸へ来ない人はさらに増えた。
彼らはこう言った。
「どうせ誰かが汲む」
その言葉は乱暴でもなく、怒りを含んでもいなかった。
むしろ穏やかだった。
だから聞く者も深く考えなかった。
桶の底に残る沈黙
井戸の周りには、まだ毎朝来る人々が残っていた。
鍛冶屋、農夫、仕立て屋、教師。
彼らは以前と同じように桶を下ろし、水を引き上げた。
ただし以前と違うことが一つだけあった。
桶が重くなったのである。
もちろん水の重さは変わらない。
変わったのは運ぶ回数だった。
来なくなった人の分まで誰かが運んでいた。
最初は小さな増加だった。
一杯が二杯になる程度である。
しかし二杯は三杯になり、三杯は四杯になった。
人は不思議なもので、自分の腕の疲れより先に周囲の様子を見る。
だからある朝、農夫は気づいた。
自分の桶が増えているだけではない。
広場の向こうで笑っている男の桶は減っている。
いや、減っているどころか最初から空なのだ。
それでも男の家には水が届いている。
その事実が見えた瞬間、重かった桶はさらに重くなった。
水の量は同じだった。
変わったのは腕ではなく頭だった。
町の人々は争わなかった。
怒鳴り合いもしなかった。
ただ少しずつ口数が減った。
井戸の縁に腰を下ろす者も減った。
朝の挨拶は短くなった。
誰も言葉にしないまま、一つの問いだけが広場に残った。
なぜ自分だけが運ぶのか。
水より先に消えたもの
翌年になると変化は目に見える形になった。
井戸はまだ満ちていた。
だが列が短くなった。
かつて毎朝顔を合わせていた人々が来なくなったのである。
来なくなった理由はさまざまだった。
疲れた者もいた。
嫌になった者もいた。
別の場所へ移った者もいた。
しかし結果は同じだった。
井戸の周りから人が減った。
すると残った者の仕事はさらに増えた。
増えた仕事はさらに別の離脱を生んだ。
町の人々はようやく会議を開いた。
そこで何人かは言った。
- 昔のように助け合おう
- もっと広い心を持とう
- 町のために頑張ろう
どれも立派な言葉だった。
しかし翌朝の列は長くならなかった。
言葉は桶を持ち上げないからである。
別の男は言った。
「水はまだあるではないか」
それも事実だった。
井戸は空ではない。
だが人々が不安に思っていたのは水の量ではなかった。
井戸へ向かう足の数だった。
誰かが水を運ぶ。
だから自分は運ばなくてもよい。
その考えは一人なら成立する。
十人でも成立する。
百人になると成立しなくなる。
それでも考え自体は変わらない。
だから町はゆっくり傾いていった。
その式に気づいた頃には、列は半分以下になっていた。
最後に残った井戸
ある冬の朝、パン屋は広場へ出た。
冷たい風が吹いていた。
井戸は昔と変わらずそこにあった。
石の縁も、縄も、桶も残っていた。
変わったのは人だけだった。
列は消えていた。
誰も来ない。
誰も汲まない。
誰も待たない。
広場は驚くほど静かだった。
パン屋は井戸を覗き込んだ。
水面は深いところで揺れていた。
十分な量が残っているように見えた。
それでも町は渇いていた。
なぜなら町を支えていたのは水ではなかったからである。
毎朝そこへ来る人々だった。
水は残った。
だが運ぶ人が消えた。
すると水のある井戸は、水のない井戸と変わらなくなった。
その日の夕方、広場を通りかかった子どもが父親に尋ねた。
「井戸はまだあるのに、どうしてみんな困っているの」
父親はしばらく考えた。
それから井戸ではなく、空になった広場を見て答えた。
「みんな、水が湧く場所を井戸だと思っていたんだ」
子どもは首をかしげた。
父親は続けた。
「本当は違った」
「あそこは、人が集まる場所だったんだ」
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