多様性という庭園と見えない門番

要旨

色とりどりの花が咲き乱れる庭園は、誰にとっても歓迎すべき光景のように見える。そこでは「多様性」が合言葉となり、あらゆる違いが受け入れられているかのように語られる。しかし、庭の奥へ進むほど、どの花が残され、どの芽が摘まれるのかを決めている見えない門番の存在が浮かび上がる。本稿は、多様性を掲げる言葉が、いつのまにか選別の道具へと変わる仕組みを、静かな庭の風景になぞらえて描き出す。

キーワード
多様性、排除、規範、言葉、庭園

色とりどりの庭の入口

街の外れに、誰でも入ってよいと書かれた庭園があるとする。門の上には大きく「多様性」と掲げられ、案内板には、どんな花も歓迎すると書かれている。赤い花も、青い花も、形のいびつな花も、すべて並んで咲く姿を想像すれば、たいていの人は少し安心するだろう。

学校や職場、画面の向こうの世界でも、似たような言葉が並ぶ。「違いを尊重する」「誰も排除しない」。その響きは柔らかく、反対する理由を探す方が難しい。庭園のパンフレットには、過去に踏みにじられた花の話が添えられ、もう二度と同じことを繰り返さないと誓う文章が続く。

こうして、人々は門をくぐる。そこでは、肌の色も、恋愛の形も、信じるものも、さまざまな花として並べられているように見える。案内役は言う。「ここでは、どんな花も同じように大切にされます」。その言葉を聞いた来園者は、ほっとして、足元の土のことなど気にしなくなる。

だが、少し目を凝らすと、妙なことに気づく。花壇の端には、抜かれたばかりの芽が山になっている。札には「有害」「不適切」とだけ書かれている。どんな芽だったのか、なぜ抜かれたのかは説明されない。来園者は、見なかったことにして、中央の華やかな花壇へと視線を戻す。

見えない剪定ばさみ

庭園には、姿を見せない庭師がいる。来園者の前に現れることはないが、その手元には鋭い剪定ばさみが握られている。案内板には「差別的な花はお断り」と書かれているが、その線引きがどこにあるのかは、誰にもはっきり示されない。

ある花が、「この庭の手入れの仕方には問題があるのではないか」とつぶやいたとしよう。花壇の配置や、水の配り方についての疑問かもしれない。しかし、その声が「庭そのものへの攻撃」とみなされた瞬間、その花は根ごと抜かれる。周囲の花は、風に揺れながら沈黙する。

「守るべき花」=「守ると宣言された花」

この庭では、どの花が守られるべきかを決めるのは、土でも、天気でもない。見えない庭師の判断だけが基準になる。しかも、その判断は、来園者にとって心地よく聞こえる言葉で包装される。「弱い花を守るため」「誰も傷つけないため」。

その結果、「多様性を疑う芽」は、花になる前に摘まれる。庭の手入れの仕方を問う声も、「危険な雑草」としてまとめて処理される。来園者は、抜かれた芽のことを深く考えない。考え始めると、自分の根元にも剪定ばさみが向くかもしれないからだ。

「安心の維持」=「沈黙の増加」

こうして、庭は静かさを保つ。だが、その静けさは、風景が整っているからではなく、声を失った花が増えた結果でもある。

庭の規則の正体

この庭の不思議さは、「多様性」という看板が、いつのまにか「正しい花の選び方」の札に変わっている点にある。入口では「どんな花も歓迎」と書かれていたのに、奥へ進むほど、「歓迎される花」の条件が増えていく。

庭師にとって、「多様性」は飾りではない。自分の手入れの仕方を正当化する旗印でもある。庭師が好む花を増やし、好まない芽を抜くとき、その行為は「庭を守るため」と説明される。

「多様性の看板」=「選ぶ側の自由」−「選ばれたくない声」

ここで、ひとつのねじれが生まれる。本来、「多様性」という言葉は、庭師のやり方そのものへの疑問も含めて、さまざまな考えを並べるはずだった。ところが、庭師は自分への疑問を「庭を壊す芽」と名づけてしまう。

こうして、「多様性を批判すること」は、庭の外へ追い出される。批判そのものが、庭の中に存在してはならないものとして扱われるからだ。

来園者の多くは、この仕組みに気づかない。目の前に広がる花壇は、たしかに以前より色とりどりに見えるからだ。自分が見ている範囲が広がったことで、庭全体も良くなったと信じたくなる。だが、その裏で、どんな芽が抜かれたのかを知る手段はない。

門の外に残るもの

夕方になり、庭園を出た来訪者は、門の外に小さな空き地があることに気づく。そこには、庭に入れなかった芽や、途中で抜かれた花が、ばらばらに転がっている。形は不格好で、色も地味だ。中には、たしかに他の花を傷つけかねない棘を持つものも混じっている。

しかし、よく見ると、棘のない芽もある。ただ、庭の手入れの仕方に疑問を投げかけたというだけで、門の外に置かれたものたちだ。彼らの声は、庭の中には届かない。「多様性」を掲げた門は、一度外に出された芽を、二度と中へ戻さない。

「多様性の庭」=「広がった花壇」+「増えた門の外」

この風景を前にして、来訪者はようやく気づく。あの庭園は、色とりどりであると同時に、ひとつの決まりごとに従っていたのだと. その決まりごとは、「多様性」という言葉を掲げながら、その言葉に疑問を向ける芽だけを、静かに外へ押し出していく。

庭師は悪意を名乗らない。むしろ、自分こそが正しさの側にいると信じている。その信念が強いほど、剪定ばさみは迷いなく動く。

門の外の空き地に立つと、庭の全体像が少しだけ見える。そこに広がっているのは、誰もが歓迎される場所ではなく、「歓迎されると認められた声」だけが整然と並ぶ場所だ。

多様性という庭園は、こうして完成する。色とりどりの花が並ぶその裏で、「庭そのものを問う芽」が、最初から風景の一部として数えられていない庭として。

コメント

  1. 庭そのものを問う花たちや蕾たちの存在は貴重だと思います。それらが完全になくなってしまったとき、 真の多様性は消滅するということでしょう。
    庭の外であっても、それらの花たちや蕾の存在はいつの時代でも有益で必須のものだと思います。

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