透明な箱へ、小石を投げ入れる儀式について

要旨

日曜日の朝、人々は正装に近い心持ちで、あるいはついでに立ち寄る気軽さで、小学校の体育館を訪れる。そこで行われるのは、一見すると未来の選択だが、その実態は、精巧に設計された社会維持のための手続きである。本稿では、私たちが「自らの意志」と信じて疑わない一票が、いかにして個人の手を離れ、集団の平穏を保つための装置へと組み込まれていくのか。その静かな仕組みを、冷徹な視点から解き明かしていく。

キーワード
投票、民主主義の舞台、集団の均衡、見えない管理

鉛筆の芯と、砂漠の砂一粒

ある街に、とても真面目な男がいた。彼は選挙の日になると、配られた案内状を丁寧に切り離し、数日前から各候補者の言い分を詳しく調べて比較した。どの人物がこの街を豊かにするか、自分の生活を安定させるか。彼はそれを、自分の未来を買うための、きわめて合理的な買い物の品定めのように考えていた。

会場に着くと、彼は厳粛な空気の中で名前を書いた紙を受け取り、銀色のブースに入る。そこで新品の鉛筆を握り、もっともふさわしいと判断した名前を、丁寧に、一文字の狂いもなく書き記した。彼はその紙を二つに折り、真ん中に口の開いた箱へと落とし入れた。カサリ、という乾いた音がした。彼は満足し、自分がこの国の舵取りに、わずかではあるが、確かな影響を与えたのだという実感と共に会場を後にした。

しかし、冷静に考えてみれば、彼が投じた一票が結果を左右する確率は、どれほどのものであろうか。砂漠に一粒の砂を足したとして、砂丘の形が変わるだろうか。あるいは、大海に一滴の水を垂らして、潮位が変わるだろうか。彼がどれほど心血を注いで選び抜いたとしても、その一票が全体の数字に及ぼす影響は、測定不可能なほどに小さい。それどころか、彼が候補者を調べるために費やした時間と労力、会場まで歩いたエネルギーを考慮すれば、得られる成果は目に見えないほどに薄まっている。

行動に費やした生命の断片 > 期待される変化の総量 × 変化に関与できる確率

この等式が成立している以上、個人の知的な努力は、目的を達成するための手段としては機能していない。それにもかかわらず、なぜ彼は、そして私たちは、これほどまでに熱心に「選ぶ」という行為に執着するのだろうか。

合意という名の、痛みを伴わない麻酔

街には、彼のような個人だけでなく、もっと大きな「塊」が存在している。例えば、同じ利益を共有する組織、あるいは特定の思想で固まった団体だ。彼らは個別の「心構え」など持たない。あらかじめ決められた名前を、決められた数だけ機械的に箱の中へ放り込む。

ここで興味深い逆転が起きる。真面目な男が、自分の人生をより良くしようと懸命に考え、悩み、選んだ一票は、これら巨大な塊が投じる無数の紙片の中に、あっけなく飲み込まれてしまう。男がどれほど高潔な理想を抱いていようと、箱の中で混ざり合えば、それは単なる「1」という数字でしかない。個人の意志は、集団の数字という暴力的な力の前では、その色彩を完全に失う。

それでも、社会はこの儀式を止めることはない。それどころか、「棄権してはいけない」と熱心に説いて回る。なぜなら、この儀式には、結果を左右することとは別の、極めて重要な役割があるからだ。

それは、人々を「納得させる」という役割である。もし、王様が独断ですべてを決めるなら、人々は不満が溜まれば王様を責めるだろう。しかし、「あなたが選んだのです」という形式が整っていれば、たとえその後に自分たちの生活が悪化したとしても、人々はどこかで「自分もその仕組みの一部だった」という意識を持たざるを得ない。責任の矛先がぼやけ、空気に溶けていく。

決定への参加感 = 支配への従順さ ÷ 責任の分散

この仕組みにおいて、個人の「心構え」は、社会を運営する側にとっては、実に都合の良い麻酔として機能する。人々が「真剣に選んでいる」と思い込めば思い込むほど、その後に提示される不条理な現実を受け入れやすくなるからだ。

閉じられた円環の出口

私たちは、透明な箱に紙を入れることで、自分の意志を社会に反映させていると信じている。しかし、その行為の真の姿は、自分たちがこの社会という大きな機械の歯車であることを、自ら再確認する作業に過ぎない。

どんなに優れた候補者を選んだつもりでも、その候補者が当選後に約束を違えたり、あるいは制度そのものの限界によって何もできなかったりしたとき、私たちはそれを「仕方がない」と受け入れてしまう。なぜなら、その人物を選んだのは、他ならぬ自分たちだという建前があるからだ。

結局のところ、選挙の日に私たちが行っているのは、次の数年間、自分たちから何を奪い、どのように管理するかを決める権利を、誰に委ねるかを決めているだけのことだ。私たちは「選んでいる」のではない。「選ばされている」という自覚を消し去るために、精一杯の「心構え」という名の飾り付けを自分自身に施しているのである。

この円環の中に、出口はない。ただ、一つだけ確かなことがある。あの体育館でカサリと音を立てて落ちた紙片は、あなたの未来を救うための魔法の切符ではなく、あなたがこの平穏な管理体制の維持に協力したことを証明する、一通の受領証なのである。

投票という行為 = 社会という物語を維持するための入場料

私たちは、自分が支払った代価に見合うだけの何かを、決して受け取ることはない。ただ、支払ったという事実そのものが、私たちをこの社会という平穏な牢獄の一員として繋ぎ止めている。それが、透明な箱の向こう側に隠された、動かしがたい真実である。

コメント

このブログの人気の投稿

「選ばれなかった」のではない。彼らは静かに、幕を引いたのだ。

電気で生理痛を体験する研修は「誰の得」になっているのか?

意識高い系と本当に意識が高い人の違い