ラベルが先に歩き出すとき

要旨

ある日を境に、同じものに別の名前が貼られることがある。呼び名を変えれば世界はやさしくなる、と信じたくなるが、そのとき静かにずれていくものがある。妊娠というきわめて具体的な出来事をめぐって、「男性」という言葉が引き受ける意味が変わるとき、何が見えなくなり、誰がその見えなさを引き受けるのかを、一本のラベルをめぐる話としてたどる。

キーワード
妊娠、男性、言葉のずれ、身体、見えなくなるもの

棚の瓶と、新しいラベル

台所の棚に、よく似た瓶が並んでいる。ひとつには「砂糖」、もうひとつには「塩」と書かれている。中身を見なくても、誰もが迷わず手を伸ばせる。ある日、家の誰かが言う。「今日から、この瓶も砂糖と呼ぶことにしよう。中身は塩だけれど、持ち主が砂糖だと言っているのだから」。

最初は、少し変わった冗談のように聞こえる。呼び名を変えることで、その人が少し楽になるなら、それでいいではないか、とも思える。台所の会話はやさしくなり、「砂糖」という言葉は、前よりも広い範囲を指すようになる。

ただ、料理本には相変わらず「砂糖大さじ一」と書かれている。病院での食事指導でも、「塩分を控えましょう」と説明される。棚の前で立ち止まり、どの「砂糖」がどの意味なのかを、そのつど頭の中で仕分ける作業が、少しずつ増えていく。誰も大声では文句を言わないが、台所は以前より静かに忙しくなる。

見えなくなる重さ

妊娠についての言葉も、これに似ている。これまでは、「妊娠するのは女性だ」という言い方が、雑ではあっても、日常の目安として使われてきた。そこには、身体にかかる負担や、歴史の中で積み重なった経験が、ひとまとめに押し込まれていた。

そこへ、「男性と名乗る人の中にも妊娠する人がいる」という事実が差し込まれる。たしかに、その人は自分を男性と呼びたいし、その願いを尊重したいという気持ちも理解できる。そこで、「男性も妊娠する」と言い換える提案が出てくる。

このとき、棚の瓶と同じことが起きる。「男性」という言葉が、従来とは違う中身を含み始める。妊娠という出来事は、相変わらず子宮を持つ身体に起きるのに、その重さを説明するための言葉から、「女性」という札が少しずつはがされていく。

見えない重さ = 名札から切り離された身体

言葉の上では、負担は「男性」と「女性」に分散したように見える。しかし、実際に眠れない夜を過ごすのは、相変わらず子宮を抱えた身体だ。その事実は変わらないまま、説明のための枠だけが書き換えられていく。

静かな取り引き

ここで起きているのは、誰かが得をし、誰かが損をするという単純な話ではない。もっと静かな取り引きだ。

「男性」と名乗る妊娠する人は、自分の名札を守りながら、妊娠という経験を語ることができるようになる。それは、その人にとって大きな救いかもしれない。「男性も妊娠する」という見出しは、新聞や動画の題材としても魅力的だ。新しさと驚きがあり、拍手も集まりやすい。

一方で、「女性」という言葉に結びついていた身体の出来事は、少しずつ輪郭を失う。統計の表では、「男性」「女性」という区分がそのまま使われると混乱が生じるため、別の言い回しが必要になる。現場では、「子宮のある人」「ない人」といった説明がひそかに使われるが、表向きの語りではあまり前に出てこない。

こうして、「男性」「女性」という二つの言葉は、日常会話では主に心の在り方を指し、病院や調査の場では別の分類がひっそりと使われる、二重の世界ができあがる。表の世界はやわらかくなり、裏の世界は複雑になる。どちらも同じ社会の中にあるのに、互いに見えにくくなっていく。

ラベルが歩き去ったあとに残るもの

棚の瓶に戻ろう。もし、家族全員が新しい呼び方に慣れたとしても、料理本の記述は変わらない。医者の説明も変わらない。変わるのは、棚の前で立ち止まる時間と、頭の中で行う小さな仕分けの回数だ。

妊娠をめぐる言葉も同じだ。「男性が妊娠する」という言い方を採用することは、ある人にとっての救いを用意する代わりに、「女性」という言葉が担ってきた身体の出来事を、別の場所に押しやることでもある。

言葉の広がり = 説明のあいまいさ × 見えない整理

その整理を引き受けるのは、医療の現場で問診票を書く人であり、統計を読み解く人であり、何より、自分の身体に起きていることを誰かに伝えようとする人だ。

ラベルが先に歩き出し、現実があとからついていくとき、そのあいだに生まれるずれは、誰かが黙って抱えるしかない。妊娠という、あまりにも具体的な出来事を前にしたとき、「男性」という言葉に新しい意味を背負わせるとは、そういう静かな引き受けを、社会全体に求めることでもある。

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