「責任ある」と書かれた白い箱
最近、「責任ある」という言葉がやけに目につく。政策でも、運営でも、不祥事の説明でも、その前に置かれる。穏やかで、分別がありそうで、反対しにくい。だが本稿は、その言葉が現実に何をしているのかを静かに追う。日常の小さな違和感から出発し、「責任」がどこへ消えていくのか、その移動経路を辿る。読み終えたとき、あの言葉は、もう以前の形では見えなくなる。
- キーワード
- 責任、言葉、説明、安心、転送
静かな貼り紙
町内の掲示板に、新しい貼り紙が出ていた。「責任ある運営を行います」。それだけが、太い文字で書かれている。具体的な内容はない。だが、読む人の多くはうなずく。無責任よりは、責任がある方がいい。そう思うのは自然だ。
この一文は、不思議な働きをする。読む側に質問を思いつかせない。何をするのか、誰が引き受けるのか、失敗したらどうなるのか。そうした問いは、貼り紙の前で自然に消える。代わりに残るのは、柔らかい安心だけだ。
名前を貼られた行為
別の場面では、「責任ある給付」「責任ある処理」といった言い回しが並ぶ。行為そのものより先に、性格が決められている。これは良い行為だ、と名札が付いている。
ここで奇妙なことが起きる。行為の中身を確かめる必要が薄れるのだ。うまくいかなかった場合でも、「責任を持ってやった」という言葉が残る。何が間違っていたのかより、態度が問われる。態度は測れない。測れないものは、責めにくい。
受け渡される重さ
責任は、本来は重いものだ。持てば動きにくくなる。だが、この言葉が付くと、その重さは誰かの手から離れる。発した人の手から、聞いた人の胸へ、そして時間の先へと渡っていく。
失敗が明らかになる頃には、関係者は多く、輪郭はぼやけている。「当時は最善だった」「皆で決めた」。そう言われると、最初の宣言だけが鮮明に残る。あのとき、確かに「責任ある」と書いてあった、と。
白い箱の中身
「責任ある○○」とは、白い箱のようなものだ。外側は清潔で、表示も正しい。だが中を開ける人は少ない。開けなくても、箱があるだけで場は収まるからだ。
この箱は、壊れにくい。中身を問われない限り、いつまでも使える。だが一つだけ確かなことがある。箱が増えるほど、実際に何かを引き受ける人は減っていく。
最後に残るのは、言葉だけだ。軽く、持ちやすく、どこへでも運べる。責任は、そうして移動を終える。どこにも置かれず、誰にも掴まれないまま。
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