穴のあいたバケツと、走りつづける人々の記録

要旨

私たちは、汗水たらして得たものを大切に守っているつもりでいる。古びた硬貨を磨き、数字の並んだ通帳を眺め、価値が落ちないという黄金の塊に手を伸ばす。しかし、私たちが立っている地面そのものが、音もなく、少しずつ削り取られていることに気づく者は少ない。本稿では、手に入れたものを維持しようとする行為が、実は目に見えない巨大な装置を動かすための燃料にされているという、静かな現実を解き明かしていく。

キーワード
貯金、黄金、インフレ、労働、装置

磨けば磨くほど減っていく硬貨

ある村に、とても熱心に硬貨を磨く男がいた。彼は毎日、自分が稼いだ硬貨を布で丁寧に拭き、箱に並べていた。隣人も同じように硬貨を大切にしていた。村の人々は、この硬貨があれば将来は安泰だと信じていたからだ。

ところが、不思議なことが起きた。数年が経ち、箱の中の硬貨の数は変わっていないのに、かつて硬貨一枚で買えたパンが、二枚出さなければ買えなくなっていたのだ。男は驚いた。「私の硬貨が、知らないうちに痩せてしまったのだろうか」と。

実際には、男の硬貨が痩せたわけではない。村の長者が、村の裏側で新しい硬貨をどんどん鋳造し、村の中にばらまいていたのだ。硬貨が溢れれば溢れるほど、一枚あたりのありがたみは薄れていく。男がどれほど丁寧に硬貨を磨こうとも、長者が裏でハンドルを回しつづける限り、男の持ち物の価値は、陽炎のように消えていく。

持っているものの価値 = 磨く努力 - 裏側で増やされる量

逃げ場所として用意された黄金の部屋

男は考えた。「そうだ。形が変わらない黄金に替えればいいのだ。そうすれば、長者がいくら新しい硬貨を作っても関係ないはずだ」と。

彼は痩せてしまった硬貨をすべて黄金に替えた。黄金は重く、鈍い光を放ち、いかにも頼もしげだった。しかし、ここにも奇妙な仕掛けがあった。黄金を手に入れるためには、長者が運営する「交換所」を通らなければならない。そこでは手数料という名目で、男の蓄えの一部が静かに差し引かれた。

さらに、黄金を安全に保管するためには、特別な鍵がかかった倉庫を借りる必要があった。その維持のためには、男はまた働いて、新しい硬貨を稼いでこなければならない。黄金という「逃げ場所」にたどり着いたはずの男は、皮肉なことに、その場所を維持するために以前よりも忙しく働くことになった。

長者は、人々が黄金に逃げ込むことを最初から知っていた。いや、むしろ逃げ道を用意していたのだ。人々が「自分は賢い選択をした」と満足しながら、せっせと新しい労働を差し出す様子を、長者は高い窓から眺めていた。

止まれない回し車の上で

結局のところ、男が硬貨を持ちつづけても、黄金に替えても、あるいは誰かの事業にその権利を預けても、結末は同じだった。

男は「自分のものを守る」という目的のために、一生懸命に頭を使い、情報を集め、右から左へと物を動かしつづけている。しかし、その動きそのものが、長者の作った巨大な装置を回す動力になっていた。男が不安になればなるほど、男が「賢く」振る舞おうとすればするほど、装置はより力強く回転し、長者の蔵は潤っていく。

私たちは、バケツに水が溜まらないのは、自分の注ぎ方が足りないからだと思い込んでいる。だから、もっと効率よく水を運ぶ方法を学び、もっと大きなバケツを買い求める。しかし、根本的な問題は、バケツの底に最初から細かな穴があけられており、その漏れ出た水が、誰かの水車を回しているという構造そのものにあるのだ。

この村に住む限り、足を止めることは許されない。価値が消えていく速度よりも速く走りつづけること。それが、私たちが「自由な意思で選んだ」と思い込まされている、終わりなき日課の正体である。

安心の維持費 = 終わりのない労働 + 仕組みへの服従

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