非常ベルとしての「お気持ち」が鳴り続ける街で

要旨

不快や傷つきが言葉として表に出やすくなった時代、「嫌だ」と言えるようになったことは、多くの人にとって歓迎すべき変化として語られてきた。ただ、その非常ベルがあまりに軽い力で鳴らせるようになったとき、誰がどれだけ走らされ、どんな静けさが失われているのかは、あまり語られない。本稿では、若い女性の声をめぐる現象を、責めるでも持ち上げるでもなく、「非常ベル」という比喩を通して静かに眺め直す。

キーワード
お気持ち、若い女性、SNS、クレーム、感情の扱い

いつから非常ベルはこんなに軽くなったのか

大型商業施設の天井には、赤い非常ベルが並んでいる。子どもの頃、あれを押したら大変なことになると教えられた。火事でもないのに押せば、たくさんの人が駆けつけ、営業は止まり、怒られる。だから、よほどのことがない限り、誰も触れない。

いま、画面の向こう側で鳴っている「不快です」「傷つきました」という声は、かつての非常ベルに少し似ている。セクハラ、差別、容姿を笑う表現。長く見過ごされてきた火種に対して、「もう黙らない」という合図として鳴らされるベルは、たしかに必要だった。若い女性が「嫌だ」と言えるようになったことは、多くの人が拍手を送った変化だろう。

ところが、SNSという建物では、そのベルは指一本で鳴らせる。匿名でも、顔出しでも、スマホ一つで。鳴らした瞬間、企業の担当者や作り手たちが、夜中でも走り回る。謝罪文が用意され、企画が止まり、関係者が集められる。画面のこちら側からは、その慌ただしさは見えにくい。ただ、タイムラインには「対応しました」「お詫びします」という文字だけが流れる。

非常ベルの軽さ = 押す側の負担 ÷ 駆けつける側の手間

この比率が変わったとき、街の風景も変わり始める。

「守られるべき声」が持つ、もう一つの顔

若い女性の声は、長いあいだ軽んじられてきた。痴漢、心ない言葉、容姿へのからかい。言っても信じてもらえない、笑い飛ばされる、逆に責められる。そうした記憶が積み重なった結果、「その声をまず信じよう」という空気が生まれた。

この空気は、非常ベルの周りに貼られた「いたずら厳禁」の張り紙とは逆だ。「鳴らしてくれてありがとう」「見過ごさないでくれて助かる」という張り紙が、目に見えない形で貼られている。若い女性が「これは嫌だ」と言えば、多くの人が「そうだね」とうなずきやすい。歴史的な背景を思えば、それは自然な反応でもある。

ただ、その「守られるべき声」が、いつも同じ重さで扱われるわけではない。フォロワーが多い人の一言は、地方の小さな店の企画を止めることもある。テレビ番組の一場面、広告の一枚の写真、キャラクターの服装。本人に悪意がなくても、「不快だ」と言われた瞬間、それは火種として扱われる。

感情の通りやすさ = 発信者の属性 × 周囲の期待

若い女性という属性は、ここで特別な通路を与えられている。守られるべき存在としての顔と、その通路の広さが、静かに重なっていく。

非常ベルが日常音になるとき

非常ベルは、本来なら滅多に鳴らないからこそ意味を持つ。ところが、SNSの中では、毎日のようにどこかで鳴っている。ある広告が「女性をモノ扱いしている」と批判され、別の企画が「体型への配慮が足りない」と責められる。若い女性のアカウントからの指摘は、引用や共感の言葉とともに広がり、企業のアカウントは頭を下げる。

ここで重要なのは、誰かが悪意を持っているかどうかではない。非常ベルを押す側にとっては、「これはおかしい」と感じたことを言葉にするだけだ。指先を動かすだけで、同じ思いの人たちが集まり、「よく言ってくれた」と称える。押した本人は、建物の中でどれだけの人が走り回っているかを、具体的には知らない。

一方、鳴らされた側は、次第に学んでいく。「この表現はやめておこう」「このテーマは扱わない方が無難だ」。そうして、少しずつ、尖った企画やぎりぎりの笑いは姿を消す。残るのは、誰にも文句を言われにくい、丸く削られた表現だ。

表現の縮み = 非常ベルの頻度 × 対応に追われる側の学習

若い女性の「お気持ち」が、意図せずともこの流れの一部になっているとき、それはもはや個人の性格の話ではない。非常ベルを押すことが、ある種の「正しい行動」として習慣化していく。そこに、拍手と共感が重なる。

静かな建物に残るもの

やがて、建物の中はとても静かになる。危ない企画は最初から立ち上がらず、誰かが眉をひそめそうな表現は会議の段階で消える。若い女性のアカウントに向けて、「これはどう思いますか」とお伺いを立てるような動きさえ出てくる。非常ベルが鳴る前に、あらかじめ火種を取り除いておこうというわけだ。

その静けさは、一見すると平和に見える。炎上も減り、謝罪文も少なくなる。だが、そこには別の種類の空虚さが生まれる。誰かが本音で笑ったり、ぎりぎりの線を攻めたりする場面が減り、「安全そうなもの」だけが並ぶ。非常ベルの周りには、誰も近づかない。

感情の特別席 = 守られるべき声 × 反論されにくさ

若い女性の「お気持ち」は、この特別席に座らされている。そこから発せられる言葉は、たしかに多くの不正を照らしてきた。一方で、その席からの一言が、誰かの仕事や表現を止める力を持つようになったとき、その重さについて語られることは少ない。

非常ベルは必要だ。ただ、あまりに軽い力で鳴らせるようになったとき、建物全体の空気は変わる。守られるべき声が、いつの間にか「止める力」として働き始める。そのとき、私たちはようやく気づく。非常ベルの向こう側で走り回っていた人たちの姿を、ほとんど想像してこなかったことに。

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