楽しさの領収書
昔、玩具屋は子どもの笑顔だけを見ていた。笑えば売れ、飽きられれば棚から消えた。ところが巨大な会社になると、客の顔より先に、別の部屋の空気を読むようになる。そこには数字を点検する人々がいて、「正しい玩具」を選別していた。すると商品は、遊ぶための道具ではなく、「正しい側に立っています」という札へ変わり始める。奇妙なのは、その札が増えるほど、売り場から熱気が消えていくことだった。
- キーワード
- 娯楽産業、改変、沈黙、ブランド、外部評価
静かな売り場
古い商店街には、まだ玩具屋が残っている。
入口には色の剥げたロボットが立っていて、夕方になると、学校帰りの子どもが勝手に触っていく。店主は注意しない。壊れなければいいと思っているからだ。売れ筋も単純だった。子どもが何度も見に来る物が売れた。説明は不要だった。
その店では、客は神様ではない。ただの客だった。だが少なくとも、客が退屈したら終わる、という単純な掟だけは守られていた。
数十年後、玩具は巨大な映像と音楽をまとい、映画より金のかかる商品になった。
すると売り場の奥に、新しい部屋ができた。
そこには遊ばない人々がいる。
彼らは玩具を手に取らない。だが、札を付ける。
- 「安全」
- 「配慮」
- 「現代的」
- 「望ましい」
そう書かれた札だった。
最初、それは便利な目印に見えた。危ない物より安全な物のほうが良い。乱暴な物より穏やかな物のほうが良い。誰も反対しにくい言葉だった。
だが、ある時から順番が変わった。
面白いから札を付けるのではない。
札を付けやすい物だけが、作られるようになった。
それでも会社は言う。
「時代に合わせているだけです」
客も最初は納得する。
時代は変わる。変わらないほうがおかしい。そう思うからだ。
だが、妙なことが起き始める。
昔は、遊んだあとに続きを待った。
今は、発売前から説明だけが増える。
- 「なぜ変えたのか」
- 「なぜ配慮したのか」
- 「なぜ現代的なのか」
玩具なのに、遊ぶ前から弁明が始まる。
その時点で、何かが入れ替わっている。
見えない客
ある大きな会社では、開発室より会議室のほうが広かった。
壁にはグラフが並び、遠い国の数字が映っている。そこでは、「どれだけ夢中になったか」より、「どれだけ問題にならないか」が重視されていた。
開発者は気づいていた。
客は二種類いる。
一人は、金を払って遊ぶ客。
もう一人は、遊ばないが、判定だけを下す客。
後者は店に来ない。だが、その人々が顔をしかめると、株価が揺れる。記事が出る。広告が止まる。配信欄が荒れる。
だから会社は、遊ぶ客より、怒る客を恐れるようになる。
奇妙なのは、怒る客は、実際には商品を買わない場合も多いことだった。
だが、会社にとって重要なのは、誰が遊ぶかではない。
誰が騒げるかだった。
その頃から、作品の中身が少しずつ似てくる。
尖った人物は丸く削られる。
暗い歴史は柔らかく言い換えられる。
昔なら「この作品らしい」と呼ばれた癖が、「誤解される要素」と呼ばれる。
理由は単純だった。
個性は、説明を必要とする。
無難さは、説明を省略できる。
巨大企業は、だんだん後者を選ぶようになる。
すると、作品は安全になる。
だが、安全になった商品は、しばしば忘れられる。
誰の記憶にも傷を残さないからだ。
磨かれた空箱
ある人気シリーズが改変された時、古いファンは怒った。
すると会社は言った。
「より多くの人へ届けるためです」
それは立派な言葉だった。
しかし、古い客が去ったあと、新しい客は定着しなかった。
なぜなら、新しい客が欲しかったのは、その作品ではなく、「正しい態度を示す企業」だったからだ。
商品そのものではない。
姿勢の確認だった。
すると企業は、さらに姿勢を強調する。
作品は薄くなる。
説明は厚くなる。
その頃には、宣伝映像より謝罪文のほうが目立っていた。
だが内部では、別の計算が動いている。
売上が少し落ちても、外部からの評価が維持されるなら、会社全体としては静かに生き延びられる。
反対に、客が喜んでも、「問題企業」と見なされれば面倒が増える。
だから判断基準が逆転する。
「面白いか」
ではなく、
「安全側にいるか」
になる。
ここで、多くの客が違和感を抱く。
なぜ、自分は説教されながら金を払っているのだろう、と。
だが企業側から見ると、それは説教ではない。
提出書類だった。
作品は遊具ではなく、「私たちは正しい側です」という印鑑付きの封筒へ変わっていた。
最後の棚
深夜の大型店では、売れ残ったゲームが整然と並んでいる。
箱は美しい。
配色も洗練されている。
誰にも怒られない形をしている。
だが、不思議なほど記憶に残らない。
店員は黙って値札を貼り替える。
三割引。
半額。
ワゴン。
その横で、十年前の古い作品が、今でも中古棚から消えている。
粗削りで、不器用で、時には乱暴だった作品だ。
だが、人々はまだ名前を覚えている。
巨大企業は、長い時間をかけて学んだ。
売れる物を作るより、怒られない物を作るほうが安全だと。
そして最後には、もっと大事なことまで忘れた。
娯楽とは、本来、少し危険なものだったという事実を。
笑いすぎる。
泣きすぎる。
熱中しすぎる。
だから人は金を払った。
しかし今、多くの作品は、感情を揺らさないことによって合格点を得ようとしている。
その結果、奇妙な現象が起きる。
誰も傷つけない作品が、誰の記憶にも残らなくなる。
そして会社だけが満足する。
棚に残った静かな箱を見ながら。
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