美人のいない国

要旨

人は、絵画を前にすると平然と「美しい」「つまらない」を口にする。だが同じ口で、人間を外見で評価することには強い嫌悪を示す。奇妙なのは、その嫌悪が現実を止めていない点だった。恋愛も、広告も、選挙も、配信も、静かに顔を選び続けている。止められたのは選別ではない。選別を言葉にすることだった。社会は美を捨てたのではない。ただ、美が見えないふりを始めただけだった。

キーワード
外見、沈黙、序列、視線、幻想

白い廊下

ある美術館では、入口の長い廊下に絵が並んでいた。

来館者たちは自由だった。

立ち止まり、眺め、値踏みし、好き嫌いを言う。赤が強すぎるとか、構図が古いとか、この画家は天才だとか、遠慮なく口にする。誰も怒らない。むしろ、それが正しい鑑賞態度だと思われていた。

ところが、出口を出た瞬間から空気が変わる。

通りを歩く人間に向かって、「整っている」「魅力がない」「目を引く」と言った途端、周囲は顔をしかめる。

人を見た目で判断してはいけない。

それが廊下の外の規則だった。

奇妙なのは、その規則が守られているようには見えないことだった。

広告には決まった顔が並ぶ。選挙ポスターには、写真を修整した候補者が並ぶ。配信画面には、視線を集める人間が残り、そうでない人間は静かに沈んでいく。

学校でも同じだった。

「内面が大事」と教師は言う。だが文化祭のポスターに描かれる顔は、だいたい決まっている。集合写真で中央に立つ人間も、だいたい決まっている。

誰も口にはしない。

ただ、皆が同じ方向を見ていた。

それは、どこにでもある普通の風景だった。

だからこそ、誰も不思議に思わなかった。

やさしい嘘

ある会社では、新人研修の最後に、不思議な紙が配られる。

「人は外見ではなく中身で評価されるべきです」

全員が頷く。

だが研修が終わると、営業部では別のことが起きる。客先へ出す人間は自然と選ばれていく。受付に立つ人間も、配信広告に映る人間も、静かに偏っていく。

もちろん、誰も「顔で選んだ」とは言わない。

  • 「雰囲気がいい」
  • 「清潔感がある」
  • 「印象が柔らかい」

言葉だけが入れ替わる。

中身は変わらない。

雨漏りで染みの浮いた天井に、新しい壁紙を貼る作業によく似ていた。

誰もが本当のことを知っている。だが、本当の名前だけが禁じられている。

その禁則は、意外なほど便利だった。

もし社会が、「美しい人間ほど得をする」と真正面から認めてしまえば、多くの人間は急に黙り込む。努力や根性や人格より先に、生まれつきの輪郭が置かれていると知ってしまうからだった。

それは居心地が悪い。

だから社会は、別の説明を大量に用意した。

  • 「個性」
  • 「相性」
  • 「空気感」
  • 「自分らしさ」

そうやって言葉を増やしていくほど、逆に、同じ顔ばかりが前へ出てくる。

沈黙の増加 = 選別の消失 ではなく、選別の秘匿

だが、人はその式を口にしない。

式を書いた瞬間、空気が壊れるからだった。

透明な選別

昔の町には、もっと露骨な掲示板があった。

  • 「あの家は裕福」
  • 「あの男は強い」
  • 「あの娘は美しい」

人間は単純だった。

残酷だったが、少なくとも見えていた。

ところが今の町では、掲示板が撤去された。

代わりに、人々は「みんな平等です」と書かれた看板を立てた。

それでも配達員は、高級住宅街へ先に荷物を運ぶ。店員は、身なりの整った客に長く頭を下げる。動画の推薦欄には、よく似た顔が何度も現れる。

選別そのものは消えていない。

ただ、地下へ潜った。

そのほうが都合がよかった。

露骨な序列は争いを生む。負けた人間に、自分の位置を正確に理解させてしまうからだった。ところが、曖昧にしておけば、人はまだ期待できる。

「次は自分かもしれない」

そう思っている間、人は列から離れない。

だから社会は、序列を壊すより先に、序列の名前を消した。

人々が嫌っているのは、美そのものではない。

美が働いている事実を、言葉にされることだった。

なぜなら、口に出された瞬間、隠れていた配分の形が見えてしまうからである。

そして一度見えてしまったものは、もう「存在しないこと」には戻れない。

出口のない廊下

夜になると、美術館の照明は落ちる。

最後の来館者が帰ったあとも、絵は壁に残る。

翌朝になれば、また人々がやってくる。立ち止まり、評価し、順位をつける。

その行為を、誰も悪だとは思わない。

不思議なのは、美術館を出たあとだった。

人々は急に慎重になる。

  • 「見た目の話ではない」
  • 「中身を見ている」
  • 「偶然そうなっただけ」

皆がそう言う。

しかし、街の巨大な画面には、毎日ほとんど同じ種類の顔が映り続ける。

選ばれているのに、選ばれていないことになっている。

そこに、この時代の静かな特徴があった。

本当に禁じられたのは、外見による判断ではない。

外見による判断が存在すると、はっきり言うことだった。

だから人々は、選び続ける。

そして同時に、「選んでいない」と言い続ける。

その矛盾を抱えたまま、廊下は今日も白く光っている。

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