子どもを産まない国の修理工場
国は、少子化を止めると言い続けている。保育園を増やし、補助金を配り、働き方を変えると宣言する。そのたびに、新しい部署が生まれ、新しい会議が始まる。しかし数字だけは静かに下がり続ける。奇妙なのは、失敗しているはずの政策が、なぜか毎年拡大していくことだった。やがて見えてくるのは、「子どもを増やす」という目的と、「制度を延命する」という目的が、いつの間にか入れ替わっていたという事実である。
- キーワード
- 少子化、年金、人口減少、制度、都市化
静かな修理工場
町外れに、大きな修理工場があった。
そこでは毎日、古い機械が運び込まれていた。作業員たちは忙しそうにボルトを締め、油を差し、配線を取り替える。入口には大きな看板があり、「未来のための修理」と書かれていた。
町の人々は安心していた。修理が続いている限り、機械は動き続けるのだと思っていたからだ。
だが、奇妙なことがあった。
修理が終わった機械は、ほとんど戻ってこなかった。
それでも工場は毎年拡張された。新しい棟が建ち、新しい制服が支給され、新しい標語が壁に貼られた。「あきらめない修理」「希望ある未来」「みんなで支える機械」。
誰も「直ったのか」とは聞かなかった。
聞く必要がなかったのである。
工場が存在すること自体が、安心の代用品になっていた。
少子化対策という言葉には、どこか似た空気がある。
保育所が足りないと言われれば増やされる。手当が少ないと言われれば積み増される。働き方に問題があると言われれば会議が開かれる。だが出生率は、古い砂時計の砂のように、一定の速度で落ち続ける。
しかも不思議なことに、数字が悪化するほど政策は拡大する。
普通なら逆である。
薬が効かなければ処方は疑われる。故障が直らなければ修理工は責められる。しかし少子化対策だけは違った。成果が出ないほど、「さらに対策が必要だ」という話になる。
町の人々は、それを優しさだと思っていた。
未来を守ろうとしているのだと。
だが工場の裏口には、別の札がかかっていた。
「停止厳禁」。
消えた目的地
若い夫婦がいた。
二人は駅から遠い狭い部屋に住み、夜遅くまで働いていた。休日になると家具店を回り、値札を見て帰宅した。子どもの話は何度も出たが、最後にはいつも沈黙になった。
理由は単純だった。
子どもは「喜び」だけでは完成しないからである。
部屋が必要になる。時間が必要になる。学校が必要になる。途方もない金が必要になる。そして一度始めると、途中で降りられない。
昔は、それでも何とかなるという感覚があった。
町全体が貧しくても、未来だけは今より広いと信じられていたからだ。ところが都市は巨大化し、教育は競争になり、仕事は不安定になった。子どもは「家族」ではなく、「長期契約」に変わった。
その変化を、国は正面から認めなかった。
代わりに、「支援」という言葉が増えた。
だが支援という言葉には奇妙な特徴がある。足りない部分を埋めるように聞こえる一方で、根本の構造には触れないのである。
- 家賃は高いまま。
- 労働時間は長いまま。
- 教育競争は激しいまま。
その状態で、手当だけが増えていく。
数字は冷酷だった。
豊かな都市ほど子どもが減る。
教育水準が上がるほど出生率が下がる。
便利になるほど家庭は縮小する。
つまり問題は、「支援不足」だけではなかった。
社会そのものが、子どもを自然に増やす形ではなくなっていたのである。
しかし、それを真正面から言えば、別の問題が現れる。
では、今ある仕組みは、何を前提に作られていたのか。
回転する階段
古い百貨店には、止まらない回転階段があった。
下から人が乗り、上へ運ばれていく。上へ着いた人は階段から降りず、そのまま上の階に留まり続けた。長い間、下から乗る人々が、その重みを支えていた。
ところが、ある年から下の入口に立つ人が減り始めた。
階段は急に重くなった。
上の階には大量の人が残っていたからである。照明、空調、売り場、すべてを維持するには、下から次々に人が乗ってこなければならない。
そこで百貨店は宣伝を始めた。
- 「若い人を増やそう」
- 「未来の客を育てよう」
- 「希望ある百貨店へ」
広告は美しかった。
だが、本当に困っていたのは、未来そのものではなかった。
回転階段だった。
もし「もう下から人は増えません」と認めれば、次に始まるのは閉店の話だからである。売り場縮小。照明停止。上層階撤去。営業時間短縮。つまり、今ある巨大な構造を小さくする話になる。
それは極めて不人気だった。
だから百貨店は、「客は戻る」という物語を維持し続けた。
少子化対策が奇妙なのはここである。
出生率回復が目的のように語られる一方、本当に避けられているのは、「人口が増えない前提」で制度を作り直す作業なのだ。
その作業は痛みを伴う。
誰かの取り分を減らさなければならない。
誰かの前提を壊さなければならない。
だから「将来増えるかもしれない」という期待が必要になる。
期待は便利だった。
成功しなくても続けられるからである。
最後の整備員
深夜の修理工場で、一人の整備員が帳簿を見ていた。
機械は減り続けていた。
部品も足りなかった。
新人も来なかった。
だが工場だけは拡大していた。
彼は気づいた。
ここは、機械を直す場所ではない。
「まだ直る」と言い続けるための場所なのだ、と。
その瞬間、工場の意味が反転した。
修理は目的ではなかった。
停止を宣言しないための儀式だった。
外では、次の宣伝車が走っていた。
- 「未来のために」
- 「子どもたちのために」
- 「希望をあきらめない」
町の人々は頷いていた。
誰も、工場の裏口を見なかった。
そこには相変わらず、小さな札がかかっていた。
「停止厳禁」。
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