合言葉の向こう側

要旨

朝の挨拶のように交わされる「もっとやろう」という言葉は、疑われることなく善意の衣をまとっている。本稿は、その言葉が小さな灯火として人を動かす瞬間を認めながらも、いつのまにか別の誰かの都合に組み込まれていく過程を描く。努力が美徳とされる場所で、疲れは誰のものになるのか。静かな日常の一場面から、その仕組みをたどる。

キーワード
合言葉、努力、美徳、疲労、制度

小さな旗のはためき

町のあちこちに、見えない旗が立っている。旗には短い合言葉が書かれている。「もう少し」「あと一歩」。朝の駅の階段、教室の黒板の隅、会議室の壁の標語。人びとはそれを疑わない。むしろ胸の奥にしまいこみ、何度も唱える。すると不思議なことに、足は軽くなり、手は速く動く。昨日よりも少しだけ前へ進めた気がする。

たしかに、この合言葉は役に立つ。試験前の夜、眠気に傾いたまぶたを持ち上げるのは、たいていこの言葉だ。緊張で固くなった指先をほどくのも、同じ言葉である。声に出せば、心の奥に小さな灯がともる。灯は暗がりを押しのけ、ほんの数歩ぶんの道を照らす。

だから誰も、旗を倒そうとはしない。旗は善意の象徴であり、怠けを追い払う守り神のように見える。合言葉は、努力を美しく見せる額縁でもある。額縁に入った努力は、称賛され、拍手を受け、物語になる。

燃料の減らない機関車

だが、奇妙なことがある。機関車は走り続けているのに、燃料庫の残量は誰も数えない。合言葉は「進め」とは告げるが、「どこまで」とは言わない。灯がともるたび、胸の奥の何かが少しずつ減っていく。それが何であるかを、旗は教えない。

ある社員は、毎朝自分に向かって同じ言葉を投げかけた。はじめのうちは成果が出た。上司は満足げにうなずき、仲間も称えた。だが、やがて夜が長くなり、笑い声が短くなった。机に伏せる時間が増えても、旗ははためき続ける。

称賛の増加 = 合言葉の反復 × 体力の減少

灯が明るいほど、影も濃くなる。合言葉は万能ではない。心の奥で「もう無理だ」という声が強くなるとき、合言葉は跳ね返される。灯はともらず、かえって暗闇を深くすることもある。にもかかわらず、旗は「足りないのは努力だ」とささやく。

拍手の向こうの静寂

旗を立てたのは誰だろう。町の広場では、舞台の上から同じ言葉が投げられる。観客はうなずき、拍手を送る。舞台の主はほとんど何も失わない。ただ言葉を掲げるだけでよい。走るのは観客である。転ぶのも、息を切らすのも、観客である。

合言葉は安い。だが、それを胸に刻む者にとっては重い。走った結果がうまくいけば拍手があり、うまくいかなければ沈黙がある。沈黙は冷たい。やがて人びとは、自分の疲れを口にしなくなる。口にすれば、旗に背く者と見なされるからだ。

こうして町には、二つの流れができる。表では合言葉が飛び交い、裏では静かな疲れが積もる。

言葉の軽さ = 発する者の無傷 ÷ 受け取る者の消耗

式は単純だが、誰も黒板に書こうとしない。旗が立つ限り、町は活気に満ちて見える。だが、その活気がどこから湧き、どこへ消えるのかを数える者はいない。

旗をしまう夜

ある晩、社員は机の引き出しに小さな紙をしまった。そこには例の合言葉が書かれていた。破りはしない。ただ、しまっただけだ。翌朝、旗はまだ町に立っている。それでも彼は、今日は少し休むと決めた。

すると奇妙なことに、町は崩れなかった。会議も進み、電車も動いた。旗は相変わらず風に揺れているが、彼の胸の灯は穏やかに保たれている。

合言葉は道具にすぎない。道具は使う者を助けもするし、縛りもする。旗が増えすぎれば、空は見えなくなる。

努力は尊い。しかし、それを命じる声が増えるほど、尊さは薄まる。灯をともすのは自分でよい。他人が掲げる旗に、無理に従う必要はない。町は今日も動いている。ただ、それぞれの歩幅で。

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