不足のたびに増える人々

要旨

人手が足りなくなれば賃金は上がる。努力すれば報われる。多くの人が疑わないその図式は、ある静かな仕掛けによって書き換えられている。足りなくなるたびに別の誰かが補われる社会では、希少さは一瞬の出来事にすぎない。努力は価値を高める階段なのか、それとも価格を押し下げる歯車なのか。本稿は日常の風景から、その構造を描き出す。

キーワード
労働不足、代替、賃金、努力、均衡

空席の張り紙

駅前の食堂に、いつも同じ張り紙が出ている。人手募集。昼どきになると、厨房は忙しそうだ。客は言う。「これだけ混んでいれば、きっと給料も上がるだろう」。人が足りなければ値段が上がる。それは野菜でも魚でも同じだ。労働も例外ではない、と。

若い店員は、夜に資格の勉強をしている。腕を磨けば時給も上がると信じているからだ。店主も口にする。「頑張れば報われる」。不足は追い風だ。希少なものは尊ばれる。教科書の図はそう教えてくれる。

やがて時給が少しだけ上がる。客は納得する。やはり世の中はうまくできている、と。空席は値段を押し上げ、努力はその波に乗る。話はきれいにまとまっている。

裏口からの行列

ところが、ある日から裏口がにぎやかになる。遠くの町から来た人々が列を作る。新しい制服は少しだけ色が違う。言葉も少し違う。だが皿は同じように洗われ、料理は同じ速さで運ばれる。

店主は計算する。時給を大きく上げなくても、厨房は回る。客は気づかない。値段も変わらない。張り紙はいつの間にか外される。

不足 × 補充 = 価格の静止

不足が起きるたびに、別の場所から人が流れ込む。水位が下がりかけると、別の蛇口が開く。すると水面は動かない。上がりかけた時給は、そっと元の高さに戻る。

勉強を続けていた店員はどうなるか。彼の努力は無意味ではない。だが同じ勉強を始める人が増えれば、資格は珍しくなくなる。珍しくなければ、値段は上がらない。努力は供給を増やす。供給が増えれば、値段は落ち着く。

走る歩道の上で

街の大通りには、見えない走る歩道があるらしい。みな必死に歩く。立ち止まれば後ろから押される。だから走る。速く走れば前に出られると信じている。

だが歩道そのものが後ろへ動いているとしたらどうだろう。誰かが速くなれば、その速さが基準になる。周囲も同じように走り出す。平均は変わらない。息だけが荒くなる。

努力は個人の選択だ。しかし全員が同じ選択をすれば、景色は変わらない。むしろ基準が引き上げられる。昨日より多く働き、昨日より多く学び、それでも値段は据え置きのまま。走る歩道は静かに動き続ける。

珍しさの消える朝

希少であることが値段を決める。だが希少さが生まれた瞬間に、それを消す仕組みが働く社会では、希少は長く続かない。足りないという合図が鳴ると、どこかの扉が開く。別の誰かが補われる。

そのとき、努力はどう位置づけられるのか。特別な技を持ち、代わりのいない人だけが例外になる。だが多くの仕事は分解できる。教えられる。置き換えられる。ならば努力は差を広げる道具ではなく、全体の水位を上げる雨になる。雨が降れば、湖は広がるが深さは変わらない。

やがて人々は気づく。空席の張り紙が出るたびに期待した上昇は、いつも途中で止まっていたことに。珍しくなるはずの自分が、いつの間にかありふれた存在になっていたことに。

不足のたびに増える人々。その循環の中で、努力は梯子ではなく歯車になる。回せば回すほど、機械は静かに安定する。値札は動かないまま、朝が来る。

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