無料の泉が涸れるとき

要旨

誰もが負担なく利用できる親切な仕組みは、一見すると美しい社会の象徴に見える。しかし、受け手の負担が消え去り、与え手の取り分が増え続ける構造のなかで、本来の目的は静かに反転を始める。親切の仮面をかぶった仕組みが、どのようにして果てしない消費の連鎖を生み出し、社会全体の財産を静かに削り取っていくのか、その仕組みの底に横たわる冷徹な力学を、ある町に起きた静かな異変を通して解き明かす。

キーワード
負担の消失、需要の変質、目的の反転、見えない壁

待合室の奇妙な挨拶

ある町に、とても評判の良い大きくて清潔な診療所があった。そこには毎日、多くの人々がやってきては、広々とした待合室のソファーを埋め尽くしていた。人々はそこで互いに顔を合わせ、世間話に花を咲かせるのが日課になっていた。ある朝、二人の年老いた女性が隣り合わせに座り、このような会話を交わしていた。

「昨日はお見かけしませんでしたけれど、どうされたのですか」

声をかけられた女性は、少し申し訳なさそうな顔をして答えた。

「ええ、昨日はいささか具合が悪うございましてね、一日中、家でじっと休んでおったのです。今日になってようやく動けるようになりましたので、こうしてやって参りました」

この会話をそのまま耳にすれば、ごくありふれた近所同士の気遣いに聞こえるかもしれない。しかし、その言葉の意味を落ち着いて考えてみると、奇妙なねじれが存在することに気づく。本来、診療所という場所は、体の調子が悪い者が治療を求めて訪れる場所であるはずだ。ところが彼女たちの間では、体の調子が悪いからこそ診療所に行くのを休み、体が回復したからこそ診療所へ出向くという、あべこべな約束事がごく自然に成立している。

彼女たちにとって、その場所は病気を治すための施設ではなく、健康な者が集うための心地よい社交場になっていた。診察室に入り、医師に少し話を聴いてもらい、いくつかの白い袋に入った薬を受け取って帰る。その一連の流れは、生活の一部として完全に組み込まれていた。誰もその光景に疑問を持たず、親切な医療が町に行き届いている証拠だと誰もが信じていた。

美徳が隠す引き換え券

この町にはもうひとつ、誰からも感謝されている素晴らしい決まりごとがあった。小さな子どもたちが病気になったとき、親が窓口で支払うべきお金を、町の役場がすべて代わりに支払うという仕組みである。子どもの健康を守るため、そして親の生活を助けるための、非の打ち所がない美しい制度とされていた。窓口での支払いが完全に消えたため、母親たちは子どもが少しでも咳をしたり、肌が荒れたりすると、すぐに診療所へ連れて行くようになった。お金の心配をせずにいつでも専門家に診てもらえる環境は、町全体の誇りでもあった。

しかし、支払うべき小銭のやり取りが消えた診察室の裏側では、別の変化が始まっていた。ある母親は、子どもが以前に皮膚の乾燥を抑えるために処方された保湿剤が、大人の美容にも大変優れた効果を持つという噂を耳にした。彼女は子どもを連れて再び診察室に入り、医師にこう告げた。「この子の肌がまだ少し乾燥するようなので、あの白いボトルのクリームを、できるだけたくさん出しておいていただけますか」と。医師は特に拒むこともなく、言われた通りの数を紙に書き込んだ。

母親にとって、そのクリームは本来なら市場で高いお金を払って手に入れるべき高級な化粧水と同じ価値を持っていた。それが、この部屋に入って子どもの名前を告げるだけで、実質的に一切の財布を痛めることなく、欲しいだけ手に入る。彼女の頭の中から、それが病気を治すための医薬品であるという認識は消え去り、いつでも引き換えられる無料の権利という認識へと書き換わっていった。

ここで重要なのは、この母親が特別に不道徳な人物だったわけではないということだ。目の前に「いくら使っても自分の懐が痛まない、上質な物品の泉」が開かれていれば、そこからより多くの恩恵を引き出そうとするのは、人間として極めて自然で合理的な判断にすぎない。仕組み自体が、人々の行動の目的をすり替えていくのである。

負担なき権利 = 必要性の忘却 + 欲望の日常化

断らない親切という果実

一方で、このやり取りを受け入れる診療所の側にも、独自の事情が存在していた。診療所の経営は、訪れる患者の数と、そこで行われた処置や処方した薬の量に応じて、後から公的な機関からお金が支払われる仕組みに基づいている。つまり、診療所にとっては、患者が何回やってきて、どれだけの物品を受け取っていったかが、そのまま自らの蓄えを増やす直接の原動力になる。

もし、医師が医学的な見地のみを厳格に適用し、「待合室におしゃべりに来るだけの健康な方はお帰りください」と言ったり、「この保湿剤は今の肌の状態ならこれ以上必要ありません」と断ったりしたらどうなるだろうか。断られた人々は気分を害し、二度とその診療所には来なくなるだろう。それどころか、町中に「あの診療所は冷酷で不親切だ」という評判が立ち、他の人々まで遠ざけてしまうかもしれない。それは供給側にとって、最も避けたい事態であった。

逆に、どんなに些細な訴えであっても笑顔で受け入れ、求められるがままに薬を袋に詰めて渡せば、患者は「よく話を聴いてくれる素晴らしい先生だ」と満足し、繰り返し通ってくれるようになる。そして、その丁寧な対応の回数が増えれば増えるほど、診療所の取り分は確実に積み上がっていく。ここでは、「相手の要求を拒まないこと」自体が、最も効果的で確実な客集めの手法へと変化している。本来なら厳密に行われるべき治療の必要性の判断が、いつの間にか、良好な関係を保つための接客行為へとすり替わっていくのである。医師もまた、自らの場所を守るために、最も都合の良い道を選択していたにすぎない。

反転する目的の終着点

このようにして、誰もが満足する完璧な循環が完成した。年老いた女性たちは楽しい時間を過ごし、母親たちは美しい肌を手に入れ、診療所は繁盛し、医師は町の名士として称えられる。どこにも不満の声を上げる者はいないように見える。しかし、ここで決定的に見落とされている事実がある。この誰も財布を痛めていないかのような優しい世界の運営資金は、一体どこから湧き出ているのだろうか。それは、待合室に座っていない町中の人々が納める税金であり、毎月給与から差し引かれる寄付金であり、そしてまだ生まれてもいない未来の子供たちが背負うはずの、目に見えない約束手形である。

支払いの当事者がその場から消え去ったとき、消費のブレーキは完全に破壊される。本来、病人を減らし、健やかな町を作るために作られたはずの仕組みは、その中身をいつの間にか真逆にひっくり返してしまっている。病人が完全に消え去り、誰も薬を必要としなくなれば、診療所は立ち行かなくなる。したがって、仕組みが存続するためには、人々が適度に不調を訴え続け、薬が絶え間なく消費され続ける状態こそが、最も好ましい状態ということになってしまう。病気を減らすための仕組みが、その実態としては、病気や不調への依存度を最大限に高めるための装置として稼働しているのだ。

仕組みの永続 = 依存の拡大 ÷ 負担の不可視化

この美しい装置は、外側から眺めている限り、社会的弱者を救う正義の味方に見える。その正義の輝きがあまりにも眩しいため、誰もその内側の歯車がどれほど歪んでいるかを指摘することができない。少しでも費用の話をしたり、利用を制限すべきだと言ったりする者は、たちまち冷酷な悪人として町から爪弾きにされるからだ。こうして、親切という名の目隠しをされた大衆は、自らの首を絞めるロープをせっせと編み続ける。泉の水が完全に涸れ果て、すべての土台が崩れ去るその瞬間まで、待合室の朗らかな笑い声が止むことはない。

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