アンケートという名の水槽
職場の空気を測るという名目で導入される「エンゲージメント調査」。その数値は、果たして何を映しているのか。透明な水槽のように見えるその装置の内側には、誰もが見落とす仕掛けがある。本稿では、調査の構造と力学を静かに解剖し、その本質を浮かび上がらせる。
- キーワード
- エンゲージメント、組織調査、数値化、権力構造、形式主義
水槽の中の魚たち
ある会社で、毎年決まった時期に「職場の空気を測る調査」が行われていた。社員たちはパソコンの画面に向かい、「あなたは職場に満足していますか」「上司との関係に納得していますか」といった問いに、1から5の数字で答える。
画面の向こうには誰がいるのか、集められた数字がどう使われるのか、誰も知らない。ただ、回答しないと催促が来る。だから、みんな答える。無難に。
調査の結果は、色分けされたグラフになって戻ってくる。赤い部署、黄色い部署、緑の部署。まるで水槽の中の魚たちにラベルを貼るように。
だが、誰もが知っていた。あの数字は、空気を読む力と、忖度の技術と、疲労の度合いの合成値だということを。
透明なはずの壁
この水槽には、いくつかの前提が埋め込まれている。
まず、数字は真実を映すという信仰。だが、数字はいつも、測る者の都合に従って形を変える。
次に、数字が高ければ業績も上がるという期待。だが、実際には、業績が良いからこそ人は笑顔になれる。順序が逆なのだ。
さらに、調査が「声を聞く手段」であるという幻想。だが、声は集められた瞬間に意味を失う。文脈を失い、温度を失い、ただの点になる。
この式が示すのは、数字が高いほど「本音」が遠ざかるという皮肉だ。
餌を落とす手の正体
この水槽を設計したのは誰か。
経営陣は言う。「社員の声を聞いている」と。人事部は言う。「改善のためのデータだ」と。
だが、調査の設計も、分析も、改善策の選定も、すべて彼らの手の中にある。
魚たちは泳ぐ。だが、水槽の形を変えることはできない。
調査の結果が悪ければ、「現場の努力不足」とされる。良ければ、「施策の成果」とされる。
つまり、どちらに転んでも、設計者の正当性は揺るがない。
そして、調査を請け負う外部の業者は、毎年「改善の兆し」を報告する。そうでなければ、契約が続かないからだ。
水槽の外にあるもの
ある年、調査のスコアが横ばいだった。
人事部は言った。「継続が大切です」
経営陣は言った。「次はもっと深掘りしましょう」
現場の社員は思った。「またか」
誰も、「やめよう」とは言わなかった。
なぜなら、この水槽は、誰にとっても都合がよかったからだ。
魚たちは泳ぎ続ける。水の透明度を測るために。
だが、本当に必要なのは、水槽の外に出て、直接話すことだった。
水の中では、声は届かない。
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