乗船券の売り場に並ぶ人々
老後の蓄えに関する不安と、それを解消するために推奨される手段の背後には、精巧な仕組みが横たわっている。本稿は、案内人が提示する助言の不条理を暴き、責任がどのように移転していくかを冷徹に描き出す。
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- 老後資金、自己責任、窓口の案内人、仕組みの移転
親切な案内人と静かな部屋
夕方のテレビから流れる声は、いつものように穏やかで、どこか他人事のようだった。画面の中では、仕立ての良い上着を着た男が、手元の資料を指さしながら熱心に話している。机の上には、いくつかの数字が書かれた大きなパネルが置かれていた。司会を任された人物が、困惑したような表情を作りながら問いかける。将来、私たちはどれほどのものを用意すれば、平穏な日々を過ごすことができるのだろうか。男は微笑を崩さないまま、それは一人ひとりの望む過ごし方によって異なると答えた。しかし、物事の価値が上がっていくこれからの時代を見据えるならば、かつて言われていた倍の蓄えが必要になるかもしれない、と付け加えた。
その言葉を聞いた多くの人々は、一瞬だけ呼吸を止める。居間のソファで背中を丸めている者も、帰りの電車の吊り革につかまりながら小さな画面を覗き込んでいる者も、一様に胸の奥が冷たくなるのを感じた。男の話し方は極めて丁寧であり、誰かを責めるような調子はいっさい含まれていない。むしろ、親身になって未来の歩き方を教えてくれているようにすら見えた。案内人は、これからはただ手元に置いておくだけでは、持っているものの価値が目減りしていくのだと言葉を続ける。だからこそ、新しい仕組みを利用して、手元にあるものを育てる計画を立てなければならない。いくつかの公的な制度の名前が紹介され、画面の隅には小さく注意書きが表示された。投資はご自身の判断で行ってください、という見慣れた文字だった。
砂浜の案内板が隠すもの
この光景は、ある広大な砂浜に立つ案内板によく似ている。砂浜には潮が満ち始めており、足元は少しずつ湿り気を帯びてきている。案内板の前に立つ男は、拡声器を使って人々に呼びかける。このままここに留まっていれば、いずれ波にのまれるでしょう。向こうの岸へ渡るためには、小舟が必要ですが、それは各自で手配しなければなりません。私たちは、そのための特別な引換券をここで配っています。人々は競って列を作り、引換券を手に入れようとする。しかし、誰もその小舟が本当に向こうの岸にたどり着くかを確認していない。案内板の目的は、人々を無事に渡らせることではなく、ただ引換券を配るという行為そのものを成立させることにあるからだ。
ここで進行している事態の本質は、非常に単純な等式によって表すことができる。それは、案内する側が受け取る確実な果実と、案内される側が背負う不確実な結末の対比である。部屋の中にいる男や、その言葉を伝えるための精巧な機械を維持している者たちは、人々が列に並び、手続きを済ませるたびに、確実な報酬を手に入れる。彼らの取り分は、未来の海が穏やかであるか、それとも荒れ狂うかによって左右されない。人々が自分の手元にあるものをどこかへ預け、動かし始めることそれ自体が、彼らの目的の達成を意味している。
一方で、列に並んだ人々が受け取るのは、将来の不確定な約束だけである。物事の価値が上がる速度に負けないようにと急かされ、よく知らない仕組みに手を出したとしても、その結果がどうなるかは誰にも分からない。ただ一つだけ確実なのは、もしも途中で波にのまれ、すべてを失うようなことがあっても、あの部屋にいた男も、画面を映していた機械も、一切の責任を負わないという点だけである。彼らは最初から、ご自身の判断で、と札を掲げていたのだから。
舞台裏の冷徹な配分
この仕組みが極めて巧妙なのは、親切の仮面を被りながら、重荷をすべて一方向へ押し流す構造を完成させている点にある。毎日の生活を営むだけで精一杯の者にとって、未来のために何かを差し出すという行為は、現在の生活を削り取ることに他ならない。今を削って不確実な未来に賭けることが、本当に正しい選択なのかを深く考える余裕は、与えられない。テレビから流れる声は、ただ「何もしないことの恐怖」を繰り返し植え付ける。周囲の人々が次々と列に並び始めるのを見て、自分だけが取り残されるわけにはいかないという奇妙な義務感が、砂浜に立つ人々の間に広がっていく。
これは、ある種の役割の組み替えである。本来であれば、社会の仕組みそのものが引き受けるべき不安定さや、不測の事態に対する備えという役目を、個々の机の上に置かれた小さな計算書へとすり替えていく。全体の問題を個人の問題へと細切れに分解し、それぞれが自分の部屋で頭を抱えるように仕向ける。そうすれば、全体の仕組みがどのような状態にあろうとも、失敗した者は「自分の計画が甘かったのだ」と自分を責めるようになる。部屋の男は、ただ客観的な事実と、利用可能な選択肢を提示したに過ぎない。その選択肢を選んだのは、他の誰でもない、自分自身なのだからという論理が、あらかじめ埋め込まれている。
このようにして、舞台の裏側では完璧な安全地帯が作られる。案内板を立てた者たちは、人々がどれほど困窮しようとも、自らの懐が痛むことはない。彼らはただ、波が来ますよ、と告げ、小舟の乗り方を説明するだけで、すべての役目を終える。その後に起きるすべての悲劇は、舞台の外側の出来事として処理される仕組みになっている。
夜の駅に消えていく足音
番組が終わり、画面が別の華やかな広告に切り替わると、居間の空気は再び元の静けさに戻った。時計の針は淡々と進み、夜が更けていく。駅の改札口からは、今日も多くの人々が吐き出され、それぞれの家路へとついていく。彼らの大半は、先ほどテレビの中で語られていたような莫大な数字を、自分の手元に用意することの非現実さを知っている。しかし、頭の片隅には、あの穏やかな男の声が奇妙に残響として残り続けている。何かを始めなければならない、このままではいけない、という実体のない焦燥感だけが、冷たい夜風とともに衣服の隙間に入り込んでくる。
街灯の下を歩く人々の影は、どれも一様に長く伸びている。誰もが、自分の足元にある地面が少しずつ揺らいでいるような感覚を抱えながら、それでも明日のために眠りにつく。明日になれば、また新しい案内人が現れ、別の数字を提示しながら、より新しい仕組みの利用を勧めるだろう。そしてそのたびに、人々は小さな紙切れに署名をし、自分の判断という重荷を自らの肩へと積み増していく。そうして、誰も責任を取らない静かな世界の中で、人々はただ、自分だけの小舟を漕ぎ出すための準備に追われ続けるのだった。
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