砂漠の貯水槽と、消えたコップ一杯の水

要旨

誰もが疑わずに信じている「正しさ」という名の貯水槽。私たちは、未来の自分や愛する誰かのために、今日流した汗を水に変えてその槽へと注ぎ込む。しかし、どれほど注いでも水面は上がらず、喉を潤すはずの分配は常に先送りにされる。本稿は、美徳という名の名目によって覆い隠された、ある種の不都合な力学を解き明かす。真面目さが報われるという物語の背後で、静かに進行している現象の正体を見つめ直す。

キーワード
分配、将来、誠実、仕組み

共同体の貯水槽という約束

砂漠の真ん中に、一つの大きな村があった。村人たちは皆、村の中央にある巨大な石造りの貯水槽を誇りにしていた。村の掟はいたって単純で、美しいものだった。誰もが毎日、自分のため、そして隣人のために、遠くの井戸から水を運び、その貯水槽に注ぎ込む。そうすれば、いつか自分が年老いて動けなくなったときや、村がひどい日照りに見舞われたときに、貯水槽に蓄えられた水が自分を救ってくれる。これが村の平和を支える「誠実さ」という名の契約だった。

若者たちは、朝から晩まで重い桶を担いで道を往復した。彼らは「真面目に働くこと」こそが、自分たちの未来を確かなものにすると信じて疑わなかった。村の長老や役人たちは、毎日のように広場で説いた。「君たちの注ぐ一杯の水が、この村という大きな家族を支えているのだ。これこそが文明的な暮らしであり、互いに支え合う尊い義務なのだよ」と。若者たちはその言葉に励まされ、少しでも多く、少しでも速く水を運ぼうと競い合った。彼らにとって、貯水槽は単なる石の箱ではなく、安心という名の神殿だった。

砂の下に消える水のリズム

ところが、ある奇妙なことに気づく者が現れ始めた。何十年も前から村人たちが水を注ぎ続けているというのに、貯水槽の中を覗き込んでも、底の方はいつも湿っている程度で、水が溜まっている気配がないのである。不思議に思った一人の男が、夜中にこっそりと貯水槽の周りを調べてみた。するとどうだろう。貯水槽の壁のいたるところに、目には見えないほど細かな、しかし無数のひび割れがあった。

運ばれた水は、注がれた端から砂の下へと吸い込まれていた。しかし、それは自然に漏れ出しているわけではなかった。砂の下には、村の地下深くへと続く精巧なパイプが張り巡らされており、水は村の機能を維持するための巨大な装置や、すでに動けなくなった一部の有力者たちの庭園を潤すために、休むことなく流用されていたのである。

村の役人たちは、このひび割れを知っていた。しかし、彼らはそれを直そうとはしなかった。ひびを塞いでしまえば、地下の装置は止まり、彼らの権威も失われてしまうからだ。彼らは代わりに、貯水槽の壁に「未来のために、もっと水を」という新しい看板を掲げた。そして、水が溜まらない理由を「最近の若者の運び方が足りないからだ」とか「異常気象のせいだ」と説明し、運ぶべき水の量をさらに増やしたのである。

期待される配分 = (個人の労働量 - システムの維持費) × 0

渇きを燃料にする装置

この村の構造を冷徹に見つめれば、ある一つの残酷な力学が浮かび上がってくる。貯水槽はもはや、水を貯めるための道具ではない。それは、村人から効率よく「労働」というエネルギーを吸い上げるための、巨大な漏斗に過ぎなかったのだ。村人が真面目であればあるほど、地下の装置は勢いよく回り、システムは存続し続ける。しかし、その恩恵が運搬人である若者に返ってくることは、構造上あり得ない。なぜなら、注がれた水は「将来の蓄え」ではなく、「過去の負債」や「今の維持」のために、その瞬間に消費されることがあらかじめ決まっているからだ。

ここで起きているのは、誠実さの裏取引である。役人は「道徳」という通貨を配り、村人から「実質的な水」を奪う。村人が「自分は正しいことをしている」と満足感を得ている間に、彼らの命の時間は、自分とは縁もゆかりもない何かの部品として浪費されていく。もし、誰かが「もう水は運ばない」と言い出せば、村全体が彼を「恩知らず」や「怠け者」として攻撃するだろう。システムは、個人の罪悪感を巧みに操り、彼らを桶から手を離せない状態に縛り付けているのである。

美徳の正体 = 搾取を正当化するための認知的麻薬

砂漠の終わり、あるいは始まり

やがて、その村に一人の旅人がやってきた。彼は村人たちが疲れ果てた顔で水を運ぶ様子を眺め、空っぽの貯水槽を見て首を傾げた。彼は一人の若者に尋ねた。「君はどうして、溜まるはずのない場所に水を注ぎ続けるんだい? その水を自分で飲めば、もっと遠いオアシスまで行けるかもしれないのに」。

若者は驚いた顔をして答えた。「そんな、自分勝手なことはできません。私が水を運ぶのをやめたら、村の長老たちはどうなるんですか? それに、私が真面目に働かなければ、この貯水槽が満たされる日は永遠に来ないんですよ」。

旅人は悲しそうに笑って、村を去っていった。数年後、その村を再び訪れる者は誰もいなかった。そこにあるのは、風にさらされた空っぽの石の箱と、砂に埋もれた無数の木の桶だけだった。村人たちは最後まで、貯水槽が満たされないのは自分たちの誠実さが足りないせいだと思い込み、倒れるその瞬間まで、自分のものではない「誰か」のために水を運び続けたのである。

砂漠には、今日も静かな風が吹いている。地下のパイプはとっくに錆びつき、装置も止まった。ただ、そこにあったはずの「真面目さ」という名の熱狂だけが、蜃気楼のように揺らめいている。誰かのために尽くすことが、自分の首を絞める鎖になる。その矛盾に気づいたときには、もう歩き出すための水は一滴も残っていないのである。

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