静かな机の上の見えない機械

要旨

朝のオフィスには多くの人が集まる。会議があり、報告があり、画面の向こうで数字が動く。すべては社会を動かす大切な仕事のように見える。しかし、ある日ふと気づく。そこでは何かが作られているのではなく、ただ動き続ける仕組みだけが育っているのではないかと。本稿は、日常の働き方の奥にある、静かで奇妙な装置についての記録である。

キーワード
仕事の風景、会議の時間、見えない装置、忙しさ、組織

朝の机の風景

朝九時になると、街の建物に明かりが灯る。人々は席に着き、画面を開き、静かに一日を始める。

その机の上には、いくつもの小さな作業が並んでいる。会議の予定、資料の修正、報告の送信。一つ一つは、とてもまともな仕事に見える。

例えば、ある会社の月曜日。朝一番の会議では、先週の進み具合を確かめる。昼前には、その内容をまとめた資料を作る。午後には、その資料を別の会議で説明する。夕方には、会議の内容を記録として残す。

一日が終わるころ、机の上には多くの記録が残る。文書、表、予定表。誰が何をしたかは、すべて確かめられる。

こうして働く姿は、よく整っている。人は集まり、互いに協力し、秩序の中で仕事を進める。

長い間、こう説明されてきた。複雑な社会では、人の動きを整える仕組みが必要だ。連絡や確認が増えるのは当然だ。

忙しさは、社会が動いている証拠。そう信じられている。

机の上に並ぶ予定表は、その証明のように見える。

会議室の空気

ところが、少し長くそこに座っていると、妙なことに気づく。

会議では、同じ話が何度も出てくる。資料は少し形を変えて、何度も作られる。説明は場所を変えて繰り返される。

ある社員が言った。「昨日もこの話をした気がするな。」

別の社員が答える。「そうかもしれない。でも記録は必要だからね。」

その言葉は、誰にも反対されない。確かに、記録は必要に思える。

だが、奇妙なことがある。会議のあと、誰も物を作っていないことがある。工場の機械が動いたわけでもない。新しい商品が生まれたわけでもない。

それでも仕事は終わる。予定表は埋まり、文書は増える。

机の上には、何かが積み上がる。しかし、それが何なのかは、はっきりしない。

人はこう考える。社会が複雑だから、仕方ない。

その言葉は便利だ。少し考えそうになると、そこで話が終わる。

忙しさの不思議

ある日、若い社員が質問した。「この仕事は、どこで役に立つんですか。」

部屋は少し静かになった。

誰かが説明した。「仕事というのは、つながっているんだ。会議があって、確認があって、それが大きな成果につながる。」

もっともらしい答えだった。若い社員も、うなずいた。

だが、その夜。彼は机の前で考えた。

今日一日で作ったものは何だろう。

資料。議事録。会議の予定。

それらは確かに存在する。だが、それらはすべて、別の会議のためのものだった。

そのとき、ある奇妙な式が頭に浮かぶ。

忙しさ = 確認 × 記録 × 繰り返し

もし確認が増えれば、記録も増える。記録が増えれば、説明も増える。説明が増えれば、会議が増える。

そして会議は、また新しい記録を生む。

気がつくと、仕事は外へ向かっていない。机の上を回っている。

人は働いている。だが、何かを作るためではない。

働いていることを確かめるために働いている。

見えない機械

それからしばらくして、若い社員はあることに気づいた。

この会社には、大きな機械がある。

しかし誰もそれを見たことがない。

その機械は、机の上にある。会議室にもある。予定表の中にもある。

人が資料を書くと、機械は少し動く。会議が開かれると、また少し動く。

機械は何も作らない。ただ動き続ける。

そして、人はその機械を止めない。

止める理由がないからだ。皆が動かしているからだ。

誰かが止めようとすると、こう言われる。「それでは仕事が回らない。」

だから今日も人は机に向かう。予定表を開き、会議に入り、記録を残す。

机の上には、いつもの静かな朝がある。

ただ、その下では、見えない機械がゆっくり回っている。

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