苦労という名の見えない請求書

要旨

若い時の苦労は価値がある、と誰もが疑わずに受け取る。その言葉は、自分で選んだ試行錯誤を励ますもののように見える。しかし同じ言葉は、別の場面では、見えない請求書として静かに差し出される。差し出す側と受け取る側のあいだで、その意味はまったく違う形に変わる。本稿は、そのずれがどこで生まれ、なぜ見抜きにくいのかを、日常の光景からたどる。

キーワード
苦労、若さ、選択、見えない請求書、経験

静かな掲示板の言葉

古びた建物の廊下に、小さな掲示板がある。そこには決まって、同じ文句が貼られている。「若い時の苦労は買ってでもせよ」。紙は少し黄ばんでいるが、文字だけは妙に新しい。通り過ぎる者は、だいたい一度はその言葉に目を留める。そして、特に疑うこともなく、そういうものだと受け取る。

ある日、新しく入った若い職員が、その前で足を止めた。彼はしばらく考えてから、小さくうなずいた。まだ経験が足りないと感じていたからだ。失敗しても取り返せるうちに、できるだけ多くを試したい。そう考えるのは自然なことだった。

その日から、彼は自分から面倒な仕事に手を挙げるようになった。慣れない作業、時間のかかる作業、誰もやりたがらない仕事。最初は戸惑いながらも、次第に手順を覚え、少しずつ速くなっていく。できなかったことができるようになる。その手応えは確かにあった。掲示板の言葉は、正しいように見えた。

重さの違う同じ箱

しかし、同じ頃、別の場所でも同じ言葉が使われていた。今度は、誰かが誰かに向かって言う形である。「若いうちは苦労しておけ」。その言葉のあとには、決まって具体的な指示が続いた。終わらない雑務、終電を過ぎる残業、理由の曖昧なやり直し。

奇妙なことに、それらの作業には終わりがなかった。昨日と同じことを、今日も、明日も繰り返す。新しいやり方は教えられない。なぜそれをするのかも説明されない。ただ「慣れろ」とだけ言われる。

彼は最初、それも経験の一部だと思っていた。だが、ある日気づく。同じ部署に長くいる人ほど、その作業をしなくなっていることに。代わりに、新しく入った者がそれを引き受けていることに。

掲示板の言葉と、現場で使われる言葉は同じだった。しかし中身は違っていた。前者は、自分で選んだ重い箱だった。後者は、誰かに渡される軽く見えて重い箱だった。見た目は同じでも、持ち上げたときの感触が違う。

消えない請求の仕組み

やがて、彼はもう一つの事実に気づく。自分が引き受けた仕事のいくつかは、自分の中に何も残していないということだ。手順は覚えたが、別の場面では使えない。時間だけが過ぎ、何かが増えた実感がない。

一方で、最初に自分から選んだ仕事は違っていた。失敗し、試し、やり直すたびに、次のやり方が見えてくる。こちらは確かに積み上がっていた。

同じ「苦労」という言葉で呼ばれているものの中に、二種類のものが混ざっている。それは次の形で表せる。

残る苦労 = 自分で選んだ試行 × 後に使える変化
消える苦労 = 他人が決めた作業 × 繰り返しのみ

前者は静かに形を変え、やがて別の場面で役に立つ。後者はその場で消え、翌日にはまた同じ形で現れる。

そしてもう一つ、見えにくい仕掛けがある。後者を差し出す側は、それを「将来のため」と説明する。受け取る側は、その言葉を疑わずに引き受ける。だが、差し出す側はその結果を待たない。今日の作業が終われば、それで十分だからだ。

こうして、意味の違うものが同じ名前で流通する。名前が同じである限り、区別は曖昧なままになる。

掲示板の裏側

ある夜、彼は廊下の掲示板の前に立った。何度も見たはずの紙を、もう一度じっと眺める。ふと、紙の端が少し浮いているのに気づいた。

指でそっとめくると、その裏にもう一枚、薄い紙が貼られていた。そこには、別の文字が書かれていた。

「ここに貼られた言葉は、読む者によって意味が変わる」

彼はしばらくそのまま立っていたが、やがて紙を元に戻した。そして翌日から、仕事の引き受け方を変えた。自分で選べるものだけを選び、そうでないものには理由を求めるようにした。

掲示板の言葉は変わらなかった。廊下を通る人々も、相変わらずそれを見て通り過ぎる。

ただ一つ違ったのは、彼だけが、その言葉に値段が付いていることを知っていたということだった。

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